こころの道しるべ(214)よい香り

よい香り 謙虚さは、よい香りとなって周りの人をよい気持ちにします。傲慢は、嫌な臭いとなって周りの人を不愉快にします。外見をどんなにきれいにしても、ひどい臭いがすれば台無し。心を清め、いつもよい香りを漂わせることができますように。 『やさしさ…

バイブル・エッセイ(1141)愛の響き

愛の響き 「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからで…

こころの道しるべ(213)幸せ集め

幸せ集め 大きな幸せを見つけられないときは、小さな幸せを集めましょう。道端に咲く花の美しさ、頬をなでる風のさわやかさ、道で人とかわす挨拶のあたたかさ。そんな小さな幸せを集めてゆけば、幸せがいっぱい詰まった心で一日を終えられるでしょう。 『や…

バイブル・エッセイ(1140)「罪の赦しを得させる悔い改め」

「罪の赦しを得させる悔い改め」 (そのとき、エルサレムに戻った二人の弟子は、)道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和が…

こころの道しるべ(212)大切な人のために

大切な人のために つらくて挫けそうなときでも、大切な誰かの顔を思い浮かべると、心の底から力が湧き上がってきます。「あの人を守りたい」「あの人の喜ぶ顔を見たい」その思いが、あらゆる困難を乗り越える力をわたしたちに与えてくれるのです。 『やさし…

バイブル・エッセイ(1139)神のいつくしみ

神のいつくしみ その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟…

こころの道しるべ(211)幸せになる力

幸せになる力 幸せな人とは、見つける力、驚く力、感動を人と分かち合う力、与えられた恵みに感謝する力を持っている人のこと。特別なものは必要ありません。誰にでもあるそれらの力を磨くだけで、わたしたちは幸せになれるのです。 『やさしさの贈り物~日…

バイブル・エッセイ(1138)天国は心の中に

天国は心の中に 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「…

バイブル・エッセイ(1137)石を転がす力

石を転がす力 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでし…

バイブル・エッセイ(1136)成し遂げられた

成し遂げられた イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口も…

バイブル・エッセイ(1135)足を洗う意味

足を洗う意味 過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせ…

こころの道しるべ(210)伝えたいこと

伝えたいこと 「あれが最後の別れと分かっていたら」という後悔ほど、つらいものはありません。一回一回の出会いを、悔いが残らないほど大切にしましょう。謝るべきことはいま謝り、感謝すべきことはいま感謝し、伝えたい愛はいま伝えられますように。 『や…

バイブル・エッセイ(1134)十字架と復活の神秘

十字架と復活の神秘 さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。フィリポは行ってア…

こころの道しるべ(209)幸せの感受性

幸せの感受性 家族や仲間の思いやりに気づいて感謝する心があれば、道端に咲く花や木々の美しさに気づいて感動する心があれば、わたしたちはいつでも幸せになれます。幸せは、手に入れるものではなく、むしろ感じとるもの。「幸せの感受性」を磨きましょう。…

バイブル・エッセイ(1133)愛を証しする

愛を証しする 「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命…

こころの道しるべ(208)命の答え

命の答え 自分の力で生きているのではなく、命の力によって生かされているわたしたち。「何のために生きているのか」と自分に問いかけ、答えが見つからないときは、「何のために生かされているのか」と命に問いかけましょう。命には、必ず答えがあります。 …

バイブル・エッセイ(1132)本当のいけにえ

本当のいけにえ ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の…

こころの道しるべ(207)自由になる

自由になる 人をゆるすとは、怒りと憎しみの闇から解放されるということ。自分をゆるすとは、絶望といら立ちの闇から解放されるということ。人をゆるし、自分をゆるすことで、愛の光に包まれた、本当の自由に到達できますように。 『やさしさの贈り物~日々…

バイブル・エッセイ(1131)輝いて生きる

輝いて生きる 六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っ…

こころの道しるべ(206)自分の弱さ

自分の弱さ 自分の力ではどうにもならない試練に直面し、苦しみを味わった人は、人間の弱さ、命のはかなさを痛いほどよく知っている人。人間の弱さ、命のはかなさを知っている人は、誰かが苦しんでいるとき、助けの手を差し伸べずにいられない人です。 『や…

バイブル・エッセイ(1130)悔い改めの恵み

悔い改めの恵み “霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は…

バイブル・エッセイ(1129)神のゆるしを信じる

神のゆるしを信じる 「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように…

こころの道しるべ(205)笑顔の深さ

笑顔の深さ たくさんの悲しみを背負いながら、それでも希望を捨てないでほほ笑む人の笑顔には、心の奥まで沁み込んで、相手を励ます力があります。笑顔に深さがあるならば、それはきっと、その人が背負った悲しみの大きさに比例するのでしょう。 『やさしさ…

バイブル・エッセイ(1128)清い心で生きる

清い心で生きる 重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち…

【ともに走る教会】

ともに走る教会 2月4日(日)に宇部市、ときわ公園で開催された第40回FMきらら杯宇部駅伝競走大会に、カトリック宇部教会、北若山教会、高千帆教会の三教会連合チームが参加、見事に完走を果たしました。チームのメンバーは15歳から65歳まで、中学校硬式野球の…

こころの道しるべ(204)過去への評価

過去への評価 過去は変えられませんが、過去への評価は変えられます。「あのせいでこんなことになった」と思っている限り、その過去に価値はありません。「あれがあったからこそ今がある」と思えるようになったなら、そのとき、過去は限りない価値を持ちます…

バイブル・エッセイ(1127)伝えずにいられない

伝えずにいられない そのとき、イエスは会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱…

こころの道しるべ(203)人生の意味

人生の意味 「もう駄目だ」と思うとき、前提になっているのは「これができなければ、これを失えば、自分の人生には意味がない」という思い込み。たとえすべてを失っても、生きているだけで人生には意味があります。駄目なことなど何もありません。 『やさし…

バイブル・エッセイ(1126)悪霊を退ける

悪霊を退ける イエスは、安息日に(カファルナウムの)会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナ…

こころの道しるべ(202)緊張の糸

緊張の糸 気持ちが張りつめているときは、休まなくても疲れを感じず、普段の何倍も働くことができます。ですがそれは、これまで蓄えた力をすべて出し切ったということ。緊張の糸が切れたときには、動けなくなるのが当たり前です。あせらず、ゆっくり回復を待…