十字架と復活の神秘 さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。フィリポは行ってア…
幸せの感受性 家族や仲間の思いやりに気づいて感謝する心があれば、道端に咲く花や木々の美しさに気づいて感動する心があれば、わたしたちはいつでも幸せになれます。幸せは、手に入れるものではなく、むしろ感じとるもの。「幸せの感受性」を磨きましょう。…
愛を証しする 「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命…
命の答え 自分の力で生きているのではなく、命の力によって生かされているわたしたち。「何のために生きているのか」と自分に問いかけ、答えが見つからないときは、「何のために生かされているのか」と命に問いかけましょう。命には、必ず答えがあります。 …
本当のいけにえ ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の…
自由になる 人をゆるすとは、怒りと憎しみの闇から解放されるということ。自分をゆるすとは、絶望といら立ちの闇から解放されるということ。人をゆるし、自分をゆるすことで、愛の光に包まれた、本当の自由に到達できますように。 『やさしさの贈り物~日々…
輝いて生きる 六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っ…
自分の弱さ 自分の力ではどうにもならない試練に直面し、苦しみを味わった人は、人間の弱さ、命のはかなさを痛いほどよく知っている人。人間の弱さ、命のはかなさを知っている人は、誰かが苦しんでいるとき、助けの手を差し伸べずにいられない人です。 『や…
悔い改めの恵み “霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は…
神のゆるしを信じる 「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように…
笑顔の深さ たくさんの悲しみを背負いながら、それでも希望を捨てないでほほ笑む人の笑顔には、心の奥まで沁み込んで、相手を励ます力があります。笑顔に深さがあるならば、それはきっと、その人が背負った悲しみの大きさに比例するのでしょう。 『やさしさ…
清い心で生きる 重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち…
ともに走る教会 2月4日(日)に宇部市、ときわ公園で開催された第40回FMきらら杯宇部駅伝競走大会に、カトリック宇部教会、北若山教会、高千帆教会の三教会連合チームが参加、見事に完走を果たしました。チームのメンバーは15歳から65歳まで、中学校硬式野球の…
過去への評価 過去は変えられませんが、過去への評価は変えられます。「あのせいでこんなことになった」と思っている限り、その過去に価値はありません。「あれがあったからこそ今がある」と思えるようになったなら、そのとき、過去は限りない価値を持ちます…
伝えずにいられない そのとき、イエスは会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱…
人生の意味 「もう駄目だ」と思うとき、前提になっているのは「これができなければ、これを失えば、自分の人生には意味がない」という思い込み。たとえすべてを失っても、生きているだけで人生には意味があります。駄目なことなど何もありません。 『やさし…
悪霊を退ける イエスは、安息日に(カファルナウムの)会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナ…
緊張の糸 気持ちが張りつめているときは、休まなくても疲れを感じず、普段の何倍も働くことができます。ですがそれは、これまで蓄えた力をすべて出し切ったということ。緊張の糸が切れたときには、動けなくなるのが当たり前です。あせらず、ゆっくり回復を待…
人間をとる漁師 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で…
無理のない計画 気になることがあると、時間があっても、落ち着いて何かに取り組むことができません。たくさんのことができると思っても、実際にはあまりできずに時間が過ぎ、いら立ちが募るのです。無理な計画を立てず、できることから始めましょう。 『や…
何を求めているのか ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた…
互いの幸せ 憎しみあう人たちのあいだでは、相手の不幸が自分の幸せ。だから、互いに足を引っ張りあって、共倒れになるのです。愛し合う人たちのあいだでは、相手の幸せが自分の幸せ。だから、互いを幸せにしようと努力し、二人とも幸せになれるのです。 『…
わたしたちの救い イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見…
苦しみの意味 そのとき、羊飼いたちは、急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、彼らは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った…
強い心 謙遜な心は、思った通りにならない相手でもあるがままに受け入れ、動じることがありません。傲慢な心は、相手がちょっと自分の思った通りにならないだけでも、いら立ちや怒りにかき乱されます。本当に強いのは、傲慢な心ではなく謙遜な心です。 『や…
神に捧げる モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵…
自分を越えた力 誰かが倒れていれば、わたしたちは、駆け寄って声をかけます。必要なら、担いで運びさえするでしょう。「なぜ、ここまでしなければならないんだ」などとは考えもしません。そんなとき、わたしたちは自分を越えた大きな力、愛の力に動かされて…
暗闇に輝く光 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で…
あなたがたへのしるし そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデ…
すべてを委ねる信仰 天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、…