2024-01-01から1年間の記事一覧

バイブル・エッセイ(1174)委ねる準備

委ねる準備 「太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。そのとき、人の子が…

こころの道しるべ(245)愛に気づく

愛に気づく 自分の弱さに気づくとき、そんな自分をこれまでやさしく受け入れ、忍耐強く見守っていてくれた周りの人たちの愛に気づきます。自分の弱さに気づくとき、わたしたちは、自分がどれだけ愛されているかに気づくのです。 『悲しみの向こう~希望の扉…

バイブル・エッセイ(1173)永遠の真理

永遠の真理 そのとき、ピラトはイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」ピラトは言い返した。「わたしは…

こころの道しるべ(244)愛を始める

愛を始める 「ありがとう」は 「あなたがいてくれて本当によかった。あなたは大切な人だ」という思いを、「ごめんなさい」は「傷つけるつもりはなかった。あなたは大切な人だ」という思いを伝えます。「ありがとう」と「ごめんなさい」から愛を始めましょう…

バイブル・エッセイ(1172)天地が滅びても

天地が滅びても 「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果…

こころの道しるべ(243)できることから

できることから 思った通りにならないからといってあせり、周りの人を責めたり、自分を責めて自暴自棄になったりすれば、ますます状況は悪くなるでしょう。大切なのはあせらないこと。できることを、一つ一つ丁寧に仕上げてゆけばよいのです。 『悲しみの向…

バイブル・エッセイ(1171)たとえわずかでも

たとえわずかでも イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せ…

フォト・ライブラリー(603)下関海響マラソン2024

下関海響マラソン2024 2024年11月3日に開催された、下関海響マラソンに参加してきました。初のフルマラソンへのチャレンジです。 海峡ゆめ広場に続々と集まるランナーたち。男女合わせて9,179名がエントリーしたそうです。 わたしはチャリティー・ランにもエ…

こころの道しるべ(242)心の状態

心の状態 心が疲れてすさんでいるときには、相手の悪いところばかりが目につきます。でも、それは相手が悪いわけではなく、見ている自分の心の状態が悪いだけ。疲れをとり、落ち着いた心で見れば、きっと相手のよいところが見えてくるでしょう。 『悲しみの…

バイブル・エッセイ(1170)神を愛する

神を愛する 「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神であ…

新刊『悲しみの向こう~希望の扉を開く言葉366』

新刊『悲しみの向こう~希望の扉を開く言葉366』 新刊『悲しみの向こう~希望の扉を開く言葉366』(教文館刊)、11月20日発売が決定しました。別れの悲しみは、その人との間に結ばれた、深い愛の絆の証。悲しみの向こうに愛がある。ただいま予約受付中です! ◆A…

こころの道しるべ(241)いつも近くに

いつも近くに どこかに何か、特別な幸せがあるわけではありません。日々の生活の中に喜びを見つけ出し、日々の生活そのものを楽しむことが幸せなのです。遠くに探しに行っても見つからないもの、いつもすぐ近くにあるもの、それが幸せなのです。 『悲しみの…

バイブル・エッセイ(1169)自分の弱さを知る

自分の弱さを知る 一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人が道端に座って物乞いをしていた。ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、…

こころの道しるべ(240)これでいい

これでいい どんなに欲張っても、すべてを手に入れることはできません。大切なのは、「わたしの人生はこれでいい」と思える何かを見つけ出し、それを最後まで守り抜くこと。誰がなんと言おうと、自分が心から納得できる人生なら、それが幸せな人生なのです。…

バイブル・エッセイ(1168)すべての人の僕

すべての人の僕 そこでイエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くな…

こころの道しるべ(239)思いを伝える

思いを伝える 話すのが下手でも、あきらめる必要はありません。相手を見つめるやさしいまなざしや、話をしっかり聞こうとする耳、悲しみにそっと寄り添う存在のぬくもりが、口から出るどんな言葉よりもはっきりと、あなたの思いを伝えてくれるでしょう。 『…

バイブル・エッセイ(1167)心を開く

心を開く イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。…

こころの道しるべ(238)わたしたち

わたしたち 遠くの誰かの苦しみを、自分自身の苦しみのように感じるとき、わたしたちの口から出る祈りは、「あの人を助けてあげてください」ではなく、「わたしたちを助けてください」になります。神さまが、苦しんでいるわたしたちを助けてくださいますよう…

バイブル・エッセイ(1166)神さまの責任

神さまの責任 ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁す…

こころの道しるべ(237)初めての体験

初めての体験 歳をとるということは、誰にとっても初めての体験。たとえば七十歳になるときに、「前にも七十歳になったことがあるからよく知っている」といえる人は誰もいません。日々、目の前に広がってゆく新しい世界を、楽しむことができますように。 『…

バイブル・エッセイ(1165)神の栄光のため

神の栄光のため ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わた…

こころの道しるべ(236)身近な奇跡

身近な奇跡 奇跡なんてありえないと思っていると、身近で起こっている奇跡を見過ごしてしまいます。生命にあふれたこの星が存在すること。たくさんの出会いに恵まれながら、この星の上にいまわたしが生きていること。すべての奇跡に感謝できますように。 『…

バイブル・エッセイ(1164)誰も見下さない生き方

誰も見下さない生き方 ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。弟子たちはこの言葉が分から…

こころの道しるべ(235)時間からの解放

時間からの解放 永遠とは、気が遠くなるほど長い時間のことではありません。永遠とは、時間から解放されるということ。もはや変わることも、消え去ることもない愛の中で、完全に結ばれるということなのです。この一瞬の中に、永遠を見つけられますように。 …

バイブル・エッセイ(1163)サタンの罠

サタンの罠 イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』…

こころの道しるべ(234)愛が指す方向

愛が指す方向 先がまったく見通せず、道に迷ってしまいそうなときは、自分の心をしっかり見つめ、心に宿った愛が指し示す方向に進みましょう。やさしさや思いやりに導かれて進んでゆく限り、間違った道に迷い込むことは決してありません。 『やさしさの贈り…

バイブル・エッセイ(1162)心を開く

心を開く イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出…

こころの道しるべ(233)質素に生きる

質素に生きる 謙遜からは感謝が、感謝からは幸せが生まれます。傲慢からは不満が、不満からは不幸が生まれます。思い上がった考え方や生活様式を改め、謙虚な心で質素に生きることこそ、幸せに続く最も確かな道なのです。 『やさしさの贈り物~日々に寄り添…

バイブル・エッセイ(1161)清らかな心で生きる

清らかな心で生きる ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人…

こころの道しるべ(232)祈りは希望

祈りは希望 祈るとは、どんなことがあっても最後まで希望を捨てないということ。希望を持って前に進んでゆく限り、必ず出口は見つかります。祈りながら、いま自分にできることを見つけ、いま自分がすべきことをしてゆきましょう。 『やさしさの贈り物~日々…