2008-06-01から1ヶ月間の記事一覧

余談(5) いまどきの若い者は・・・。

前回の「余談」を書いてから、はたして現代の若者は病んでいるのかということについて色々な人に意見を聞いたり、わたし自身何人かの若者たちと直接話したりした。その上で、もう少し考えてみたい。 幾人かの大人たちから聞かれた声は「今どきの若い者は、ケ…

マザー・テレサの言葉(6) 十字架上の死

あたかも人間となったことだけでは不十分であるかのように、 神の偉大な愛を示すためにイエスは十字架上で死にました。 イエスはあなたのため、わたしのため、ハンセン病の患者のため、 空腹で死にかけている人のため、裸で道に横たわっている人のために 十…

入門講座(10) キリストの教会①〜教会の歴史〜

《今日の福音》マタイ5:43-48 「神の国」についてお話しした時に取り上げた聖書の箇所です。神様は善人にも、悪人にも同じように太陽を昇らせるほど寛大で、慈悲深い方だということが語られています。神様の目から見れば、だれでも同じように大切な子どもで…

バイブル・エッセイ(12) 教会の土台

イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言…

バイブル・エッセイ(11) 理不尽なイエス?

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によっ…

フォト・エッセイ(15) 「神の国」への扉

アジサイを見てきた。 前日までの天気予報に反して、今日は雨が降らなかった。雨の休日を予定していたわたしは、朝その事実に気がつくと大慌てで地図を広げ、ハイキングのプランを考えた。今日のテーマはいずれにしてもアジサイだから、アジサイがたくさん見…

余談(4) 若者は「病気」なのか?

先輩のイエズス会員に勧められて、『僕のこころを病名で呼ばないで』という本を読んだ。精神科のお医者さんが、臨床で若者たちと接する中で感じた疑問を率直に記した本だ。とてもよみやすい文章で一気に読んでしまったのだが、読み終わってからわたしはしば…

マザー・テレサの言葉(5) 静けさ

イエスが「あなたを愛している」というのを聞かずに、 たとえ1日たりとも生きながらえることはできません。 体が呼吸を必要とするくらいに、 わたしたちの魂はその呼びかけを必要としているのです。 イエスはこころの静けさの中で語りかけながら、 あなたた…

入門講座(9) 罪と恵み

《今日の福音》マタイ5:43-48 「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」というイエスの有名な言葉が今日の福音で読まれました。自分の味方だけに優しくしたり、自分が好きな人のために祈ったりすることは誰にでもできる。だが神の愛を実践し、「神…

バイブル・エッセイ(10) 「恥の文化」と「罪の文化」

「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、…

フォト・エッセイ(14) 平等院鳳凰堂

三室戸寺の帰りに、宇治の平等院まで足をのばした。 宇治川に架かる橋を渡って鳳凰堂にたどりついたとき、まず建物の美しさに心を奪われた。とりわけ左右の張り出し部分が生み出す繊細で気品のあるシンメトリーは、「なんなんだろう、これは」と思わせるほど…

入門講座・番外編 ゆるされてゆるす

「ゆるし」については、夏休み明けに「ゆるしの秘跡」を取り扱うときに詳しく説明しようと思っている。だが、最近「ゆるし」について何人かの方々から質問があり、わたし自身にとっても日々の生活の中で実践するのが最も難しいことの一つだと思われるので、…

フォト・エッセイ(13) 三室戸寺のアジサイ

宇治の三室戸寺までアジサイを見に行ってきた。最初は近場で咲いているところを探したのだが、六甲山のアジサイはまだ咲いておらず、須磨離宮公園は木曜日が定休日だということが分かったので、「どこかいいところがないかなぁ」とインターネットで関西のア…

バイブル・エッセイ(9) 義人の死

「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正し…

マザー・テレサの言葉(4) やさしい愛

わたしのこころの中におられるイエスよ、 あなたのやさしい愛を信じます。 あなたを愛しています。 Jesus in my heart, I believe in your tender love for me. I love you. ※写真の解説…「死を待つ人の家」の前で、人々と握手するマザー・テレサ。写真・文…

入門講座(8) イエス・キリスト⑤〜なぜ「三位」が「一体」なのか〜

《今日の福音》マタイ5:13-16 「地の塩、世の光」という言葉で有名な箇所です。塩は周りのものを清め、光は周りのものを照らしますから、わたしたちも周りの人々の心を清め、また照らしなさいとイエスは言っているのだと思います。より具体的に言えば、出会…

バイブル・エッセイ(8) 働き手が少ない

イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働…

余談(3) なぜインターネット?

近頃、インターネット関係の本をまた何冊か読んだ。現代人、特に若者の多くがパソコンないし携帯電話を通して入り込み、長時間を過ごしているというインターネットの世界でいったい何が起こっているのかを知りたかったからだ。本を読むのと並行して、教会に…

フォト・エッセイ(12) 影の国

今日、午後だけだったが久しぶりに六甲山を歩くことができた。先週は、これから歩くというところで雨が降り始めてしまってがっかりしたのだが、今日は最初から最後まで雲ひとつない晴天だった。 山道を歩きながら、ナルニア国物語の作者、C.S.ルイスが、この…

バイブル・エッセイ(7) 神のものは神へ

人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。彼らは来て、イエスに言った。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔…

バイブル・エッセイ(6) 光をもたらすために

あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。(マタイ5:…

マザー・テレサの言葉(3) ほほえみ

イエスを愛する喜びをいつも心に持ち続けましょう。 そしてその喜びを、わたしたちが出会うすべての人々と分かち合いましょう。 そのようにして伝えられる喜びは真実です。 なぜなら、わたしたちはキリスト共にいながら幸せでない理由がないからです。 わた…

入門講座(7) イエス・キリスト④〜「復活」とは何か?〜

《今日の福音》マルコ12:13-17 今日読まれた福音は、「納税問答」として知られている有名な箇所です。なんとかしてイエスを陥れ、活動できないようにしてしまおうと狙っていたファリサイ派やヘロデ派の人々は、狡猾な質問を準備してイエスに近づきました。も…

バイブル・エッセイ(5) 罪人を救うために?

イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスは…

フォト・エッセイ(11) 助祭叙階式の日の朝

あの日の朝、わたしはいつもより少し早く目を覚ました。枕もとの時計を見るとまだ5時半頃だった。また寝ようとしたのだが、どうも寝付かれないままに過ごしていると、ふと窓の外から真っ赤な光が差し込んできた。引越しの関係で部屋を変えたばかりだったこと…

バイブル・エッセイ(4) ダビデの王権とキリストの王権

イエスは神殿の境内で教えていたとき、こう言われた。「どうして律法学者たちは、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。ダビデ自身が聖霊を受けて言っている。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵を/あ…

入門講座・番外編 肉親と「父なる神」

先日、コメントの中で「父なる神」という言葉がいま一つぴんとこないという趣旨の投稿があった。実際の父親はそんなに理想的なものではないし、「父の愛」と言われても実感が伴わないということだと思う。最近は「父なる神」だけでなくて「母なる神」という…

フォト・エッセイ(10) 雨の休日

木曜日はわたしにとって特別な日だ。なぜなら、週に1度この日だけ教会から離れて自由に過ごすことができるからだ。 だがどういうわけか、わたしが神戸に来て以来、たぶん70%くらいの確率で木曜日には雨が降る。休みの日には六甲山かどこかの自然の中をカメ…

フォト・エッセイ(8) 癒しの力

この写真を撮りに行った頃、わたしは大きな困難にぶつかっていた。これまでの人生でぶつかったいくつかの困難の中でも、割と大きい方の困難だ。なかなか説明するのは難しいことだし、ブログでみなさんに打ち明けるような性質のものでもないので、ここでは詳…

フォト・エッセイ(7) 高原の風

ウォーク・ラリーの翌日、6月1日の日曜日、連日の活動をものともしない教会学校のタフなリーダーたち7人と一緒に夏の教会学校キャンプの下見に行ってきた。今年のキャンプの目的地は、兵庫県北部にある兎和野高原だ。下見とはいうものの、わたしとしては半ば…