2024-03-01から1ヶ月間の記事一覧

バイブル・エッセイ(1138)天国は心の中に

天国は心の中に 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「…

バイブル・エッセイ(1137)石を転がす力

石を転がす力 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでし…

バイブル・エッセイ(1136)成し遂げられた

成し遂げられた イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口も…

バイブル・エッセイ(1135)足を洗う意味

足を洗う意味 過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせ…

こころの道しるべ(210)伝えたいこと

伝えたいこと 「あれが最後の別れと分かっていたら」という後悔ほど、つらいものはありません。一回一回の出会いを、悔いが残らないほど大切にしましょう。謝るべきことはいま謝り、感謝すべきことはいま感謝し、伝えたい愛はいま伝えられますように。 『や…

バイブル・エッセイ(1134)十字架と復活の神秘

十字架と復活の神秘 さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。フィリポは行ってア…

こころの道しるべ(209)幸せの感受性

幸せの感受性 家族や仲間の思いやりに気づいて感謝する心があれば、道端に咲く花や木々の美しさに気づいて感動する心があれば、わたしたちはいつでも幸せになれます。幸せは、手に入れるものではなく、むしろ感じとるもの。「幸せの感受性」を磨きましょう。…

バイブル・エッセイ(1133)愛を証しする

愛を証しする 「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命…

こころの道しるべ(208)命の答え

命の答え 自分の力で生きているのではなく、命の力によって生かされているわたしたち。「何のために生きているのか」と自分に問いかけ、答えが見つからないときは、「何のために生かされているのか」と命に問いかけましょう。命には、必ず答えがあります。 …

バイブル・エッセイ(1132)本当のいけにえ

本当のいけにえ ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の…