フォト・エッセイ(29) 中高生会キャンプ2008


 8月12日から15日まで、3泊4日で中高生会のキャンプに行ってきた。今回の目的地は、姫路市の山間部にある「そうめん滝キャンプ場」だった。中高生21人とリーダー14人が参加した。
 2週連続のキャンプだったので体力的にはしんどかったが、今回もすばらしいキャンプだったと思う。教会学校と違って子どもたちの自主的な運営にゆだねる部分が多かったので、不手際や内容の稚拙さが目立つ場面もあったが、それも中高生会キャンプならではのよさだろう。初めから何もかもが手際よく進むわけがないし、子どもたちは失敗をしながら色々なことを学んでいくのだろうと思う。ともかく、子どもたち自身が喜んでいたことが何よりだった。帰ってきて写真に写った子どもたちの笑顔を見ていたときに、あらためて深く感動した。これほどたくさんの笑顔や感動を生んだキャンプが、失敗であるはずがない。
 子どもたちの数に対してリーダーが多かったこともあって、今回はプログラムの合間を縫って散歩をすることができた。生来わたしは団体行動というものが苦手なので、1人になる時間が持てたのはうれしかった。水不足で干上がった川床を歩き、ところどころにある水たまりに足を浸したり、小魚や蟹を追いかけたりした。しばらく下流まで歩いて行った所に、本来ならば「そうめん滝」があるはずの岩場があった。滝の方は水不足のために岩の間を水がちょろちょろと流れているというような状態だったが、ちょうど手ごろな大きさの平らな岩があったので、そこでしばらく昼寝した。
 岩の上に寝転んで青空を流れていく雲を見ていたとき、地球が動いているのを感じた。不思議な感覚でうまく説明できないのだが、なにしろ体が岩と一体になり、地球と一緒に動いているような気がした。自分が地球の一部になったような感じと言ってもいいかもしれない。まるで自分自身が岩になって、ただ青空を見上げながらそこに存在しているようだった。屋外の岩の上で昼寝をしていると、ときどきそういう感覚を味わうことがある。これまでに何回も感じたことのある懐かしい感覚だった。しばらく昼寝した後で立ち上がろうとしたのだが、体がなかなか岩から離れなかった。
 岩と一体になっていたとき、わたしはしっかりと大地に支えられ、抱きしめられながらここにいるのだという感じがした。どんなに無様なかっこうで倒れていようとも、大地はわたしをしっかりと支え、抱きしめてくれるのだ。「母なる大地」という言葉があるが、大地はまるでわたしを子どものように大切に受け止めてくれる。ふだん街中で生活しているときには忘れてしまっているが、これはとても大きな恵みだと思う。神は大地を造り、人間の揺るがぬ足台として据えられた。大地に支えられているからこそ、わたしたちは歩くことができるし、寝ることができるのだ。恵みの大地に支えられて、わたしたちは日々の生活を生きている。まず、そのことを神に感謝したい。青空を流れていく白い雲を見上げながら、そんなことを思った。
 今日からまた教会での生活が始まる。エアコンの効いた司祭室でパソコンに向かっていても、大地との結びつきを忘れないようにしたい。わたし自身も大地の一部であり、神の恵みによって支えられ、抱きしめられてここにいるのだ。







※写真の解説…1枚目、「そうめん滝キャンプ場」。2枚目、岩に止まった塩辛トンボ。3枚目、キャンプ場から見た空。4枚目、キャンプ・ファイアー。