フォト・エッセイ(28) ひまわり

《お知らせ》8月12日から15日まで、中高生会キャンプのため留守にします。その間、ブログの更新やコメントへの応答はできません。

 数年前に母と北海道を旅行したときのことだ。その日、母とわたしはタクシーを借りて富良野周辺を観光していた。有名なファーム富田をはじめとするたくさんの花畑や田園風景を見た後、タクシーは街からやや離れた展望台へと向かっていた。丘陵地帯をまがりくねりながら進んでいく道の途中で、突然そのひまわり畑が目の前に現れた。観光地図にも何にも載っていないひまわり畑だった。運転手さんに聞くと、肥料として育てられているひまわりの畑で、このようなひまわり畑は富良野のあちこちにある。だから、一々地図にも載せていないとのことだった。わたしは車をその場で止めてもらい、畑の方に駆け寄った。そのときに撮ったのが、この写真だ。
 毎年、夏になるとこのひまわり畑のことを思い出す。もともとわたしはひまわりが大好きで、神学生時代には修道院でよくひまわりを育てていた。あの頃、初夏から夏にかけて、小さなひまわりの芽があっという間に大きくなっていくのを見るのが毎朝の楽しみだった。真夏の日差しを全身で浴びながら、太陽を目指して真っすぐに伸びていくひまわりの姿を見ているだけで、何か生きる力のようなものを分けてもらえる気がしていた。
 わたしも、ひまわりのように生きたいと思う。太陽のように輝く「神の国」を目指し、聖霊の光を全身で浴びながらまっすぐに伸びていきたい。うつむいて地面を見たり、他人を見て自分と比べたり、自分自身のことだけを見たりするのではなく、ただ「神の国」だけを見て生きていきたい。もしそのように生きられれば、わたしがひまわりを見て慰められたように、わたしを見た人も慰めを与えられるかもしれない。秘跡の執行を通して、また生き方そのものを通して、目に見えない聖霊の力を目に見える形で人々に示すのが司祭に与えられた最大の役割だろうと思う。
 また明日からキャンプが始まる。このキャンプでもまた、太陽を全身に浴びながら自然の中で活動し、子どもたちやリーダーたちと遊ぶ中でたくさんの恵みを与えられることだろう。だが、暑さや寝不足で体が疲れてくると、わたしは自分自身のことばかり考えて腹を立てたり、短気になったりすることがたびたびある。キャンプのようなある種の極限状態の中でこそ、信仰の真価が問われるのだろう。あのひまわり畑のことを思い出しながら、なんとかこのキャンプを乗り切りたいものだと思う。
 




※写真の解説…富良野で見つけたひまわり畑。