フォト・エッセイ(30) 光の海


 ここのところキャンプなどがあって1週間の過ごし方が不規則になっているが、昨日は木曜日だったので半日お休みをもらって東京から来た友人と一緒に神戸を観光してきた。六甲教会から出発して、まず布引の滝に行き、そこから異人館街、北野坂、センター街、中華街、メリケンパークと歩いて周った。最後にケーブルで摩耶山に上り、神戸の夜景を見た。半日にしてはなかなか充実した観光だったと思う。こちらに来たばかりの4月初めにも同じようなコースを1人で歩き、神戸の街に親しみを感じた。今回、5ヵ月ぶりにまた神戸の街をじっくりと見て感慨深いものがあった。
 なにより感動したのは、摩耶山から見た神戸の夜景だった。夜景の時間帯にケーブルが営業しているのは夏だけなので、前回は見ることができなかった。だから、神戸の夜景を見たのは、こちらに移ってきてから初めてのことだ。昔、六甲学院から見た覚えはあるのだが、あまり印象に残っていない。「まあ、それなりにきれいだなぁ」と思ったくらいだったのだろう。だが今回、ケーブルカーがどんどん上がっていって「星の駅」あたりから夜景が見え始めた時には、あまりの美しさに思わず息を飲んだ。期待をはるかに上回って美しく、また雄大な夜景だった。一緒にいた友人も、あまりの美しさに感動しているようだった。
 山頂の掬星台から見た神戸の街は、まるで光の海だった。金色に輝く光の帯が、神戸から大阪方面に向かって果てしなく伸びてゆき、紀伊半島にまでつながっていた。昼間は山と海の方がきれいで、街はその間に沈んでいるのだが、夜になると景色がまったく逆転する。山と海は闇の中に沈み、その間に忽然と光の海が現れるのだ。その光は雲にまで達していた。まるで、おとぎ話に出てくる黄金の街のように金色の輝きに包まれた街が夜の闇に浮かび、その光が周囲をも照らし出しているのだ。時間を忘れてしまうほどに美しく、感動的な光景だった。
 自分が住んでいる街が、夜の間、あれほどまでに美しく輝いているとは思わなかった。わたしたちの灯す一つ一つの光が、集まって光の海を作り出しているのだ。光の一つ一つが、闇の中で頼もしく、暖かく輝いている。幸せも、悲しみも、痛みも、病も、若さも、老いも、孤独も、すべてを包み込んだ光の海の中で、わたしたちは生活しているのだ。
 この海の中で、わたしは迷子にならずに最後まで泳ぎ続けることができるのだろうか、そんなことも思った。光の海にも道しるべは必要だ。それがなければ、光に飲まれて溺れてしまうだろう。そう思いながらふと空を見上げると、そこには無数の星たちが輝いていた。地上の光に比べると細く、弱く、目立たない光だが、その光はわたしたちを導くかのように天空高く輝いている。その光の存在に気づき、その光を見失いさえしなければ、決して迷子になることはないだろう。その光は、まるで「神の国」の輝きを映し出しているかのようだった。







※写真の解説…1枚目、摩耶山からの夜景。2枚目、布引の滝。3枚目、異人館街のカフェ。4枚目、夜の神戸港