バイブル・エッセイ(317)御言葉の土台の上に


御言葉の土台の上に
※このエッセイは、2012年11月18日に行われた七五三祝福のミサの中での説教に基づいています。
 「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」(マルコ13:24-31)
 七五三の祝福の日なのに、太陽が暗くなるとか星が落ちるとか、ちょっとこわい話が出てきました。この中で皆さんに特に覚えておいてほしいのは、イエスが最後にしてくれた「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」という約束です。この世の中にはひどいことや苦しいことがたくさん起こりますが、どんなことがあってもイエスの言葉だけは滅びることはないのです。
 ちょっと昔話をしましょう。昔、あるところに山と海に囲まれたとても美しい街がありました。街にはたくさんの教会があり、日曜日になるとたくさんの人々が集まってイエスの言葉に耳を傾けていました。そして、皆で一緒に祈ったり、楽しく歌ったりしていたのです。
 ところがあるとき大雨が降り、山からたくさんの水や泥、岩などが街に押し寄せてたくさんの教会を壊してしまいました。人びとは悲しみ、もう教会は終わりだとさえ思う人さえいました。ところが、月日が過ぎるうちに、人々の心に「もう一度、イエスの言葉を聞きたい。昔のようにみんなで集まって祈ったり、楽しく歌ったりしたい」という思いが生まれてきました。やがてそのような人々の思いが一つになり、街のあちこちに教会が建ってゆきました。
 しばらくすると、今度は街に戦争がやってきました。敵の国から飛んできた大きな飛行機がたくさんの爆弾を落し、たくさんの教会が燃やされてしまいました。人々はがっかりして、これはもうだめだと思いました。ところが、しばらくするとまた人々の心に「もう一度、イエスの言葉を聞きたい。昔のようにみんなで集まって祈ったり、歌ったりしたい」という思いが生まれてきたのです。やがてそのような人々の思いが一つになり、街のあちこちに教会が建ってゆきました。
 それから何十年かしてみんなが安心した頃、今度は街に大きな地震が起こり、たくさんの教会が壊されてしまいました。人々は涙にくれて、今度こそもうおしまいだと思いました。ところが、街の片づけが終わると、やはり人々の心に「もう一度、イエスの言葉を聞きたい。昔のようにみんなで集まって祈ったり、楽しく歌ったりしたい」という思いが生まれてきました。やがてそのような人々の思いが一つになり、街のあちこちに教会が建っていったのです。
 「そんなことあるのかな」と思った人がいるかもしれませんが、実はこの話は、わたしたちが住む神戸の街でこの何十年かの間に実際に起こったことなのです。エスの言葉は、幾たび教会が崩されても人々の心の中に蘇り、再び教会を作り上げていったのです。洪水や戦争、大地震は、教会の建物を壊すことはできましたが、人々の心の中にあるイエスの言葉を消すことはできませんでした。どんなにひどいことがおこったとしても、イエスの言葉だけは決して滅びないということがこの話から分かったのではないでしょうか。
 わたしたちの人生の中でも、「もうだめだ、これでおしまいだ」と思うようなひどいことが起こり、自分の築き上げてきた大切なものが崩されてしまうことがあるかもしれません。でも、何も心配することはないのです。わたしたちの心の中にイエスの言葉があるならば、わたしたちはそこに土台を置いて、もう一度ゼロからすべてを作り直すことができるでしょう。皆さんがイエスの言葉をしっかりと心にきざみ、自分の人生の揺るがぬ土台として生きていくことができるように、わたしたち大人がその手助けをできるようにと心からお祈りしています。
※写真の解説…カトリック六甲教会の鐘楼と桜。