祈りの小箱(43)福者コルカタのマザー・テレサ『心の目を開いて』


福者コルカタマザー・テレサ『心の目を開いて』
「目を向けているのに見ていない」、それはどんなときでしょう。一つは、別のことを考えていて、目の前にあるものにまったく関心を払っていない場合が考えられます。美しい花が道端に咲いているのに、会社の仕事や晩御飯の支度のことを考えていてまったく目に入らない。残念ながら、そのようにことはよくあると思います。
 もっと深刻なのは、関心を持って見ているのに見えていないという場合です。例えば、この写真のようなアジサイが咲いていたとしましょう。ある人は、「なんて美しい色彩なんだろう」と思って顔を近づけ、その美しさを楽しむかもしれません。ですが、ある人は「なんだ、ただのアジサイか」と思ってそのまま通り過ぎてしまうかもしれません。顔を近づける人はアジサイをよく見ていますが、通り過ぎてしまう人は見えていても見ていないと言っていいでしょう。後者の人は、目の前に咲いている美しい花に「アジサイ」というレッテルを貼り付けて、それだけで満足してしまっているのです。
 わたしたちの目をくもらせるもの、それはこのような決めつけ、思い込みです。確かにこの花はアジサイですが、世の中に同じアジサイなど一つとしてないのです。一つひとつの違いに目を向け、ありのままの花と出会う人だけが、本当にそのアジサイを見ることができる人だと言っていいでしょう。それは、何についても言えます。「なんだいつもの料理か」、「ただの犬じゃないか」、「ありふれた木だ」、そのように見る人は目の前にある料理や犬、木などを、見ていても見ていないのです。その人が見ているのは、自分の中にある思い込みの料理であり、犬や木なのです。人間についても同じです。「ああいつも愚痴ばかり言っている〇〇さん」とか、「わたしと仲が悪い××さん」というように見る人は、目の前にいるその人を、見ていても見ていません。その人が見ているのは、その人の中にある思い込みの〇〇さんであり、××さんなのです。
 「心の目を開く」とは、そのような決めつけ、思い込みをすっかり取り払って、ありのままを見つめるということです。一つ一つ違うアジサイ、一つ一つ違う料理や犬、木、そのときそのときで変化している誰かを、しっかりとありのままに見る人だけが、本当に見ている人なのです。くもりのない目でありのままの世界を見ることができるよう、神様に祈りましょう。
★このカードは、こちらからダウンロードできます。どうぞお役立てください。
JPEGマザー・テレサ『心の目を開いて』.JPG 直
⇒PDFマザー・テレサ『心の目を開いて』.PDF 直