やぎぃの日記(162)山田經三神父のこと


山田經三神父のこと
 一昨日、教会のFAXに1枚の訃報が届いた。今度は誰が亡くなったのだろうと思って読み始めて、我が目を疑った。「山田經三」という名前が目に飛び込んできたからだ。とても受け入れがたい現実だった。今日、広島の教会で行われた葬儀ミサに出席してきたが、それでもまだ山田神父の死をうまく受け入れることができない。
 山田神父とは、今から15年ほど前に本郷の修道院で一緒だった。広島での2年間の修行を終え、大学で哲学の勉強を始めたばかりのときのことだ。本郷の修道院で暮らした2年に、山田神父からどれだけ支えられ、励まされたかわからない。まだ勉強中の身でありながらさまざまな活動に手を出し、注意されることも多かったわたしを全面的に受け入れ、励ましてくれたのが山田神父だった。住む修道院が別になってからも、会うたびに満面の笑みを浮かべながら「ひろしさん、頑張れよ。応援してるからな」と声をかけてくれた。
 今日、棺の前に立って手を合わせたときにも、遺影の向こうから山田神父の声が聞こえてきた。「おう、よく来てくれたな、ひろしさん。まあ、みんないつかこうなるんだよ。ひろしさんも、最後までがんばれよ。」そう言われたような気がした。地上でのすべての使命を立派に果たし終えて天国に旅立った山田神父。これからは、天国から見守り、励ましてくれるに違いない。偉大な先輩のあとに続き、わたしもこの地上での使命を最後まで全力で果たしたいと思う。

教皇フランシスコ喜びと感謝のことば

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