2024-06-01から1ヶ月間の記事一覧

道しるべ(222)自分との対話

自分との対話 一人ぼっちでさびしいときは、自分の心と対話しましょう。わたしは何を恐れているのか、いま本当にしたいことは何なのか、自分の心に問いかけ、自分を深く知ってゆく。そんな対話が始まれば、一人でもまったくさびしくありません。 『やさしさ…

バイブル・エッセイ(1149)小さな愛の種

小さな愛の種 「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実がで…

こころの道しるべ(221)してもらったこと

してもらったこと 疲れが溜まると、してもらったことより、してもらえなかったことの方が大きく見えてきます。相手をいたわるゆとりを失い、「わたしはこんなにして上げたのに」と思い始めるのです。してもらったことへの感謝を忘れないようにしましょう。 …

バイブル・エッセイ(1148)聖霊への冒涜

聖霊への冒涜 イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。エルサレムから下って来た律法学者…

こころの道しるべ(220)愛を育てる

愛を育てる 愛するとは、相手のすべてを、あるがままに受け入れるということ。初めから相手のすべてを知り尽すことはできないので、わたしたちは一生かけて少しずつ相手を知り、愛を育ててゆくことになります。愛するとは、愛を育ててゆくという決意なのです…

バイブル・エッセイ(1147)イエスと共に生きる

イエスと共に生きる 除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると…