こころの道しるべ(8)謙虚な心で

f:id:hiroshisj:20200511203116j:plain謙虚な心で

傲慢な心は現実を見誤りますが、
謙虚な心はあるがままの現実を
受け止めることができます。
状況を正しく見て、
正しい判断を下すには、
自分の弱さに直面してもいら立たず、
思い通りにならない状況に腹を立てない
謙虚さが必要なのです。

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こころの道しるべ(7)一番の対応策

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一番の対応策

先のことが不安で夜も眠れない。
そんなことでは体力が落ち、
判断力も鈍って、
ますます状況を悪化させてしまいます。
どうにもならないことは
神さまの手に委ね、
自分が今すべきことを精いっぱいやる。
どんな場合もそれが一番の対応策です。

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バイブル・エッセイ(908)「わたしが分かっていないのか」

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「わたしがわかっていないのか」

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。」(ヨハネ14:1-12)

「主よ、わたしたちに御父をお示しください」というフィリポに、イエスは「こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか」と答えました。父なる神を、フィリポが期待しているような形で見ることはできない。わたしたちは、イエスにおいてのみ父なる神と出会い、父なる神の愛を知るのだということでしょう。長い間一緒にいるのに、フィリポはまだそのことに気づいていなかったのです。

 コロナ禍の緊急事態宣言をうけ、家にいる時間が長くなった人たちの口から、「ずいぶん長く一緒に暮らしているが、配偶者にこんな一面があったとは知らなかった」、「子どもがこんなことを考えているとは知らなかった」という声が聞こえてきます。「長い間一緒にいるのに、相手のことがわかっていなかった」ということは、わたしたちの身近なところでもよくあるのです。普段の忙しい生活の中で相手のことをよく見ず、表面的な会話だけを交わしているうちに、わたしたちは次第に、相手の本当の姿を見失ってゆきます。相手が何を思い、何に悩み、何に喜びを感じて生きているかがわからなくなってしまうのです。

 相手の本当の姿を知るためには、表面的な会話を交わすだけでは足りません。ゆっくりと向かい合って相手の姿を見、相手の言葉をしっかり心に納めて思い巡らすうちに、だんだん相手の本当の思いがわかってくるのです。口先で憎らしいことを言ったり、反抗的な態度を取っている子どもの心の奥底に、優しさや真理への憧れがあふれていることに気づいたり、普段は不愛想な配偶者の心の奥底に、家族への深いいたわりや愛情が宿っていることに気づいたり。コロナ禍で思いがけず生まれた時間の中で、相手の本当の姿に気づくということが、いまあちこちで起こっているのです。

 それは、相手の中にキリストを見つけ出すことだと言ってもいいでしょう。よく目を開いてみれば、耳を傾けて聞いてゆけば、家族や友人、同僚の中に、イエス・キリストがおられるのです。怒りにかられて発せられる厳しい言葉や、苛立ちから生まれる不機嫌な態度などは、決して相手の本心ではありません。心の表面にある感情の乱れが、言葉や態度となって表れてきているだけなのです。心の表面がどれほど乱れていたとしても、相手の心の深くまで覗いてゆけば、そこには必ず優しさや温もり、真理への憧れを見つけることができます。どんな相手の中にも、必ずキリストが住んでおられるのです。もしわたしたちが、神に向かって「キリストを見せてください。そうすれば満足できます」と言ったら、きっと神さまは「こんなに長い間一緒にいるのに、分かっていないのか」と答えられるでしょう。キリストは、いつもわたしたちのすぐそばにいるのです。

 さらに言えば、わたしたちは、自分の中にキリストがいることも見失ってしまいがちです。忙しい毎日の中で、「どちらが自分にとって得だろう」「どうしたらみんなに気に入られるだろう」というようなことばかり考えているうちに、心の奥深くにある愛や情熱、憧れを見失い、本当の自分を見失ってしまいがちなのです。コロナ禍の中で生まれた時間は、そんな自分に気づくための時間。自分の中にも生きておられるキリストに気づくための時間にもなるでしょう。

 キリストは、いつもわたしたちの身近におられます。そのことに気づき、キリストを通して父なる神の愛と出会うことができるように。父なる神の愛の中で、この試練のときを乗り越えてゆくことができるように祈りましょう。

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こころの道しるべ(6)ソリチュード

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ソリチュード

英語では「孤独」に二つの種類があります。
独りぼっちのさびしさを抱えた「ロンリネス」と、
独りでもさびしくはない「ソリチュード」。
独りで世界と向かい合い、
心が静かに満たされてゆく孤独、
「ソリチュード」を学ぶことができますように。

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こころの道しるべ(5)対処する力

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対処する力

どんなに準備しても、トラブルは必ず起こります。
大切なのは、絶対にトラブルが
起きないようにすることより、
起こったトラブルに対処する力を身に着けること。
落ち着いてあらゆる可能性を探れば、
乗り越えられないトラブルはありません。

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こころの道しるべ(4)祈るとは

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祈るとは

祈るとは、
どんなことがあっても
最後まで希望を捨てないということ。
希望を持って前に進んでゆく限り、
必ず出口は見つかります。
祈りながら、
いま自分にできることを見つけ、
いま自分がすべきことを
してゆきましょう。

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バイブル・エッセイ(907)聞く力を磨く

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聞く力を磨く

 そのとき、イエスは言われた。「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。門から入る者が羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。(ヨハネ10:1-10)

「門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける」とイエスは言います。羊たちは、自分たちを欺いて連れ出そうとする悪者の声と、よい羊飼いの声をしっかり聞き分けることができる。それと同じように、キリストの弟子たちも、悪の誘惑する声と、神の呼びかける声をしっかり聞き分けることができるというのです。

 新型コロナウイルスの感染拡大が始まってから、「心配でよく眠れない」という声を聞くことがあります。それはそうでしょう。はじめはせいぜい1ヶ月か2ヶ月くらい我慢すれば元の生活に戻れると思っていたのが、どうもそういうわけにはいかない。長引けば1年、2年と不自由な生活が続きそうだ。そんな雰囲気が漂い始めたのです。「これからどうなるんだろう」「もう元の生活には戻れないんじゃないか」「離れて住む家族と会えなくなったらどうしよう」などと考えているうちに、眠りが浅くなってしまう。それは、十分にありうることです。

 そんなとき、わたしたちの心の中でささやいているのは誰でしょう。それは、恐れに取りつかれている自分です。「もう終わりだ。将来には何の希望もない」と絶望に駆り立てたり、「こうなったのも○○のせいだ」と怒りや憎しみを掻き立てたりするのは、わたしたちの心に入り込んだ悪魔の仕業と言ってもいいかもしれません。眠れずにもんもんとしているとき、わたしたちは神さまのことをすっかり忘れ、つい悪魔の声に耳を傾けてしまっているのです。

 悪魔の声に引きずり込まれそうなときは、すぐに祈り始めましょう。「神さま、この弱いわたしをお救いください」と祈れば、しだいに心は落ち着き始めます。心の耳を澄ませば、心の奥底から神さまがわたしたちに呼びかけておられることに気づくでしょう。怯え、うろたえるわたしたちに向かって神さまは、「わたしがあなたと共にいる。何も恐れることはない」と、静かに、やさしく呼びかけておられるのです。心の奥深くから響くその声に気づくことができれば、きっと何の心配もなく、安らかな眠りにつくことができるに違いありません。

 フランシスコ教皇様は、このパンデミックの中で、「聞く力」を磨くよう呼びかけておられます。それは、単に家族や友人の話を聞くということだけではないと思います。わたしたちが何よりも磨くべきなのは、あらゆるものを通してわたしたちに語りかける、神さまの声を聞く力なのです。恐れや不安にとらわれた自分の声、絶望や破滅へと誘う悪魔の声ではなく、心の奥深くから呼びかける神さまの声に耳を傾ける力。ストレスがたまっていら立った家族や友だちの声ではなく、家族や友人の心の奥深くから呼びかけておられる神さまの声に耳を傾ける力。次々と起こる思いがけない出来ごとを通して、神さまが語っておられることに耳を傾ける力。このパンデミックは、わたしたちがそうした聞く力を磨くために、ちょうどよい機会なのです。

 何も恐れる必要はありません。この困難なときを乗り越えるために必要なのは、心を静かにして耳を澄まし、「恐れるな。わたしはいつもあなたがたと共にいる」と呼びかけるイエスの声に耳を傾けることだけです。羊飼いの声を聞き分け、羊の門を通って救いに導いていただくことができるよう、心を合わせて祈りましょう。

 

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