バイブル・エッセイ(908)「わたしが分かっていないのか」

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「わたしがわかっていないのか」

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。」(ヨハネ14:1-12)

「主よ、わたしたちに御父をお示しください」というフィリポに、イエスは「こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか」と答えました。父なる神を、フィリポが期待しているような形で見ることはできない。わたしたちは、イエスにおいてのみ父なる神と出会い、父なる神の愛を知るのだということでしょう。長い間一緒にいるのに、フィリポはまだそのことに気づいていなかったのです。

 コロナ禍の緊急事態宣言をうけ、家にいる時間が長くなった人たちの口から、「ずいぶん長く一緒に暮らしているが、配偶者にこんな一面があったとは知らなかった」、「子どもがこんなことを考えているとは知らなかった」という声が聞こえてきます。「長い間一緒にいるのに、相手のことがわかっていなかった」ということは、わたしたちの身近なところでもよくあるのです。普段の忙しい生活の中で相手のことをよく見ず、表面的な会話だけを交わしているうちに、わたしたちは次第に、相手の本当の姿を見失ってゆきます。相手が何を思い、何に悩み、何に喜びを感じて生きているかがわからなくなってしまうのです。

 相手の本当の姿を知るためには、表面的な会話を交わすだけでは足りません。ゆっくりと向かい合って相手の姿を見、相手の言葉をしっかり心に納めて思い巡らすうちに、だんだん相手の本当の思いがわかってくるのです。口先で憎らしいことを言ったり、反抗的な態度を取っている子どもの心の奥底に、優しさや真理への憧れがあふれていることに気づいたり、普段は不愛想な配偶者の心の奥底に、家族への深いいたわりや愛情が宿っていることに気づいたり。コロナ禍で思いがけず生まれた時間の中で、相手の本当の姿に気づくということが、いまあちこちで起こっているのです。

 それは、相手の中にキリストを見つけ出すことだと言ってもいいでしょう。よく目を開いてみれば、耳を傾けて聞いてゆけば、家族や友人、同僚の中に、イエス・キリストがおられるのです。怒りにかられて発せられる厳しい言葉や、苛立ちから生まれる不機嫌な態度などは、決して相手の本心ではありません。心の表面にある感情の乱れが、言葉や態度となって表れてきているだけなのです。心の表面がどれほど乱れていたとしても、相手の心の深くまで覗いてゆけば、そこには必ず優しさや温もり、真理への憧れを見つけることができます。どんな相手の中にも、必ずキリストが住んでおられるのです。もしわたしたちが、神に向かって「キリストを見せてください。そうすれば満足できます」と言ったら、きっと神さまは「こんなに長い間一緒にいるのに、分かっていないのか」と答えられるでしょう。キリストは、いつもわたしたちのすぐそばにいるのです。

 さらに言えば、わたしたちは、自分の中にキリストがいることも見失ってしまいがちです。忙しい毎日の中で、「どちらが自分にとって得だろう」「どうしたらみんなに気に入られるだろう」というようなことばかり考えているうちに、心の奥深くにある愛や情熱、憧れを見失い、本当の自分を見失ってしまいがちなのです。コロナ禍の中で生まれた時間は、そんな自分に気づくための時間。自分の中にも生きておられるキリストに気づくための時間にもなるでしょう。

 キリストは、いつもわたしたちの身近におられます。そのことに気づき、キリストを通して父なる神の愛と出会うことができるように。父なる神の愛の中で、この試練のときを乗り越えてゆくことができるように祈りましょう。

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