バイブル・エッセイ(907)聞く力を磨く

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聞く力を磨く

 そのとき、イエスは言われた。「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。門から入る者が羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。(ヨハネ10:1-10)

「門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける」とイエスは言います。羊たちは、自分たちを欺いて連れ出そうとする悪者の声と、よい羊飼いの声をしっかり聞き分けることができる。それと同じように、キリストの弟子たちも、悪の誘惑する声と、神の呼びかける声をしっかり聞き分けることができるというのです。

 新型コロナウイルスの感染拡大が始まってから、「心配でよく眠れない」という声を聞くことがあります。それはそうでしょう。はじめはせいぜい1ヶ月か2ヶ月くらい我慢すれば元の生活に戻れると思っていたのが、どうもそういうわけにはいかない。長引けば1年、2年と不自由な生活が続きそうだ。そんな雰囲気が漂い始めたのです。「これからどうなるんだろう」「もう元の生活には戻れないんじゃないか」「離れて住む家族と会えなくなったらどうしよう」などと考えているうちに、眠りが浅くなってしまう。それは、十分にありうることです。

 そんなとき、わたしたちの心の中でささやいているのは誰でしょう。それは、恐れに取りつかれている自分です。「もう終わりだ。将来には何の希望もない」と絶望に駆り立てたり、「こうなったのも○○のせいだ」と怒りや憎しみを掻き立てたりするのは、わたしたちの心に入り込んだ悪魔の仕業と言ってもいいかもしれません。眠れずにもんもんとしているとき、わたしたちは神さまのことをすっかり忘れ、つい悪魔の声に耳を傾けてしまっているのです。

 悪魔の声に引きずり込まれそうなときは、すぐに祈り始めましょう。「神さま、この弱いわたしをお救いください」と祈れば、しだいに心は落ち着き始めます。心の耳を澄ませば、心の奥底から神さまがわたしたちに呼びかけておられることに気づくでしょう。怯え、うろたえるわたしたちに向かって神さまは、「わたしがあなたと共にいる。何も恐れることはない」と、静かに、やさしく呼びかけておられるのです。心の奥深くから響くその声に気づくことができれば、きっと何の心配もなく、安らかな眠りにつくことができるに違いありません。

 フランシスコ教皇様は、このパンデミックの中で、「聞く力」を磨くよう呼びかけておられます。それは、単に家族や友人の話を聞くということだけではないと思います。わたしたちが何よりも磨くべきなのは、あらゆるものを通してわたしたちに語りかける、神さまの声を聞く力なのです。恐れや不安にとらわれた自分の声、絶望や破滅へと誘う悪魔の声ではなく、心の奥深くから呼びかける神さまの声に耳を傾ける力。ストレスがたまっていら立った家族や友だちの声ではなく、家族や友人の心の奥深くから呼びかけておられる神さまの声に耳を傾ける力。次々と起こる思いがけない出来ごとを通して、神さまが語っておられることに耳を傾ける力。このパンデミックは、わたしたちがそうした聞く力を磨くために、ちょうどよい機会なのです。

 何も恐れる必要はありません。この困難なときを乗り越えるために必要なのは、心を静かにして耳を澄まし、「恐れるな。わたしはいつもあなたがたと共にいる」と呼びかけるイエスの声に耳を傾けることだけです。羊飼いの声を聞き分け、羊の門を通って救いに導いていただくことができるよう、心を合わせて祈りましょう。

 

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