こころの道しるべ(13)いますべきこと

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いますべきこと

将来が見通せず、
いま何をしていいか
分からなくなったときは、
いま自分の身の回りで
起こっていることに目を向けましょう。
どれだけたくさんの人が苦しみ、
助けを求めているかに気づけば、
いま自分のすべきことが見えてくるでしょう。

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こころの道しるべ(12)苦しみの意味

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苦しみの意味
苦しみの意味は、ほとんどの場合
「あのときは必死だったけれど、
今から思えばあの苦しみにも意味があった」
という形で示されます。
苦しみの意味は、
苦しみを乗り越えたときにわかるもの。
信じて、乗り越えることができますように。

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バイブル・エッセイ(910)ロザリオという命綱

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ロザリオという命綱

 使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」(使徒1:6-11)

「イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった」。ルカは、イエスの昇天の場面をこのように記しています。人間によって十字架に上げられたイエスが、今度はご自分の力によって天に上がられた。天に上がって、父なる神の右の座につかれたということでしょう。復活したキリストは、父なる神と共に天におられ、天からわたしたちを見守っていてくださる方。苦しんでいるわたしたちに、いつでも助けの手を差し伸べてくださる方なのです。

 聖母月である5月の始まりにあたって、フランシスコ教皇様は、パンデミックの終息を願ってロザリオの祈りを唱えるよう全教会に呼びかけました。ロザリオの祈りには、この困難な状況の中でわたしたちを救う力がある。今こそ、ロザリオの大切さを心に刻むべきときだ。教皇様は、そうお考えになったのだと思います。

 呼びかけにこたえ、わたしも今月は、いつもより頻繁にロザリオの祈りを唱えています。その中で改めて感じているのは、ロザリオの鎖は、天からわたしたちの元におろされた命綱のようなものだということです。恐れや不安、苛立ちなどに押し流され、溺れてしまいそうなわたしたちのために、神さまは天から、ロザリオという命綱を投げてくださった。ロザリオの鎖を握るとき、わたしたちは神の力によって天に引き上げられる。わたしはそんな風に感じています。

 実際にやってみればすぐに分かりますが、ロザリオを握り、「アヴェ・マリアの祈り」や「主の祈り」「栄唱」を繰り返し唱えていると、心の中にあった不安や恐れ、苛立ちはすっかり消え、心が喜びと力に満たされてゆくのを感じます。イエスを通して行われた父なる神の偉大な業を思い起こし、聖母と共に自分のすべてを神の手に委ねるとき、わたしたちの心は天国のすがすがしい喜びで満たされるのです。それはわたしにとって、ロザリオによって天国に引き上げられたとしかいいようのない体験です。

 全世界を覆うパンデミックの闇の中で、わたしたちの心は不安や恐れに囚われがちです。先の見通しがまったく立たないことにいら立ち、無力さに打ちのめされて立ち上がれなくなる。そんな体験をしている方もいらっしゃるでしょう。パンデミックの恐ろしさは、病気で命が奪われることだけでなく、病気にかかる前に、わたしたちの心が不安や恐れ、苛立ちによって壊れてゆくことにあると言ってもいいかもしれません。そんなわたしたちを救うために投げられた命綱。それがロザリオの祈りなのです。もちろん、ロザリオだけでなく、神に捧げられたすべての真摯な祈りには、わたしたちの心を天国に引き上げる力があります。祈りこそ、パンデミックがもたらす不安や恐れ、苛立ちと戦うためにわたしたちに与えられた最高の武器なのです。

「祈ったところで何も変わらない。祈れば神さまが助けてくれるなんて、そんな馬鹿なことはない」と思う方もいるかもしれませんが、祈りには確実に効果があります。祈りはわたしたちを不安や恐れ、苛立ちから解放し、困難に立ち向かうための力を与えてくれるのです。祈らずに、自分の力だけで立ち向かおうとすれば、どんなに強い心でもやがて折れてしまうでしょう。恐れや不安、苛立ちと戦うために神が与えてくださった最強の武器、ロザリオを手にして、天におられるイエスさま、マリアさまとつながりながら、この試練を乗り越えてゆくことができますように。

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こころの道しるべ(11)最後に残るもの

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最後に残るもの

持っていたものや、
慣れ親しんだ習慣、
行動の自由などが
次々と奪われてゆく中で、
最後に残るのはその人の人間性。
どんな状況も前向きに受け止め、
その中に喜びを見つけられる人は、
どんな状況に置かれても
幸せでいられるでしょう。

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こころの道しるべ(10)一緒にいる時間

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一緒にいる時間

他人と一緒にいる時間が減るということは、
自分と一緒にいる時間が増えるということ。
これまで自分と
しっかり向かい合ってこなかったのなら、
今こそが絶好のチャンス。
先送りにしてきた問題に、
納得のゆく答えを見つけられますように。

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こころの道しるべ(9)三つの密

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三つの密

一人で抱え込まず、
相談することで風通しをよくし、
「密閉」を避ける。
プライバシーを侵すほど
近づかないことで
「密集」を避ける。
感情を高ぶらせたまま
話しかけないことで
「密接」を避ける。
対人関係でも
「三つの密」を避けましょう。

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バイブル・エッセイ(909)美しさの中におられるイエス

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美しさの中におられるイエス

「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」(ヨハネ14:15-21)

「かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる」とイエスは言います。イエスがやって来られるときには、イエスが父なる神の愛のうちにおられるように、わたしたちもイエスの愛に包まれる。同時に、イエスもわたしたちの愛に包まれるということでしょう。イエスを愛するとき、わたしたちの目は開かれ、自分がイエスの愛の中に生きていること。わたしたちの間にイエスがおられることに気づくのです。

 ナチス・ドイツの強制収容所から生還した精神科医、ビクトル・フランクルが、強制収容所での自身の体験を綴った『夜と霧』という本の中に、一つの印象的な場面があります。厳しい労働の中で疲れ果てて迎えたある日の夕方、仲間の一人が興奮して部屋に飛び込んできて、みんなに外に出るように呼びかけたというのです。それは、みんなに夕焼けを見せるためでした。その仲間は、夕焼けの美しさをみんなと分かち合いたくて仕方がなかったのです。夕焼けを見たうちの一人は、「世界って、どうしてこう奇麗なんだろう」とつぶやいたとフランクルは記しています。

 強制収容所ほどでなかったとしても、何か自分にとって本当に厳しい状況の中に置かれているとき、ふと世界の美しさに気づき、「大丈夫だ。世界はこんなにも美しい」と思って生きる力を与えられた。そんな体験をしたことがある方は、きっと多いのではないかと思います。わたし自身も、そんな体験が何度かあります。そのたびに、わたしは学生の頃に読んだ『夜と霧』のこの一節を思い出し、「きっとフランクルたちが体験したのは、こんなことだったんだろうな」と思ったものです。どんな苦しい状況にあっても、世界の美しさに感動するとき、わたしたちの心に生きる力が湧き上がって来るのです。

 世界の美しさは、神さまからの愛のメッセージだとわたしは確信しています。神さまは息を呑むほど美しい世界を通して「頑張れ、わたしはこんなにもあなたを愛している」とわたしたちに呼びかけているのです。その呼びかけに気づくとき、わたしたちの心に生きる力が湧き上がってきます。「わたしたちは、神の愛の中に生きている。何も心配する必要はない」と思えるようになるのです。

 美しさは、自然の中だけにあるのではありません。フランクルは、強制収容所の中にあっても、仲間に優しい言葉をかけたり、自分の最後のパンの一片を病気の仲間に与えたりする人がいたと記しています。そのような人間の気高さの中にも、わたしたちは美しさを見ることができます。その美しさもまた、神からのメッセージなのです。その美しさを通して、神さまは、「頑張れ、何があってもわたしはあなたたちを見捨てない」とわたしたちに呼びかけておられるのです。

 世界の中に、また人間の心に宿る神々しいまでの美しさの中に、イエス・キリストがおられます。その美しさは愛であり、愛の中にはイエス・キリストがおられるのです。コロナ禍の試練の中にあっても、世界の美しさ、人間の心の美しさの中にイエスを見つけだし、この試練を乗り越えてゆくことができるように、また、わたしたち自身も美しい愛の行いによってキリストのメッセージをこの世界に伝えてゆくことができるように祈りましょう。

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