バイブル・エッセイ(910)ロザリオという命綱

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ロザリオという命綱

 使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」(使徒1:6-11)

「イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった」。ルカは、イエスの昇天の場面をこのように記しています。人間によって十字架に上げられたイエスが、今度はご自分の力によって天に上がられた。天に上がって、父なる神の右の座につかれたということでしょう。復活したキリストは、父なる神と共に天におられ、天からわたしたちを見守っていてくださる方。苦しんでいるわたしたちに、いつでも助けの手を差し伸べてくださる方なのです。

 聖母月である5月の始まりにあたって、フランシスコ教皇様は、パンデミックの終息を願ってロザリオの祈りを唱えるよう全教会に呼びかけました。ロザリオの祈りには、この困難な状況の中でわたしたちを救う力がある。今こそ、ロザリオの大切さを心に刻むべきときだ。教皇様は、そうお考えになったのだと思います。

 呼びかけにこたえ、わたしも今月は、いつもより頻繁にロザリオの祈りを唱えています。その中で改めて感じているのは、ロザリオの鎖は、天からわたしたちの元におろされた命綱のようなものだということです。恐れや不安、苛立ちなどに押し流され、溺れてしまいそうなわたしたちのために、神さまは天から、ロザリオという命綱を投げてくださった。ロザリオの鎖を握るとき、わたしたちは神の力によって天に引き上げられる。わたしはそんな風に感じています。

 実際にやってみればすぐに分かりますが、ロザリオを握り、「アヴェ・マリアの祈り」や「主の祈り」「栄唱」を繰り返し唱えていると、心の中にあった不安や恐れ、苛立ちはすっかり消え、心が喜びと力に満たされてゆくのを感じます。イエスを通して行われた父なる神の偉大な業を思い起こし、聖母と共に自分のすべてを神の手に委ねるとき、わたしたちの心は天国のすがすがしい喜びで満たされるのです。それはわたしにとって、ロザリオによって天国に引き上げられたとしかいいようのない体験です。

 全世界を覆うパンデミックの闇の中で、わたしたちの心は不安や恐れに囚われがちです。先の見通しがまったく立たないことにいら立ち、無力さに打ちのめされて立ち上がれなくなる。そんな体験をしている方もいらっしゃるでしょう。パンデミックの恐ろしさは、病気で命が奪われることだけでなく、病気にかかる前に、わたしたちの心が不安や恐れ、苛立ちによって壊れてゆくことにあると言ってもいいかもしれません。そんなわたしたちを救うために投げられた命綱。それがロザリオの祈りなのです。もちろん、ロザリオだけでなく、神に捧げられたすべての真摯な祈りには、わたしたちの心を天国に引き上げる力があります。祈りこそ、パンデミックがもたらす不安や恐れ、苛立ちと戦うためにわたしたちに与えられた最高の武器なのです。

「祈ったところで何も変わらない。祈れば神さまが助けてくれるなんて、そんな馬鹿なことはない」と思う方もいるかもしれませんが、祈りには確実に効果があります。祈りはわたしたちを不安や恐れ、苛立ちから解放し、困難に立ち向かうための力を与えてくれるのです。祈らずに、自分の力だけで立ち向かおうとすれば、どんなに強い心でもやがて折れてしまうでしょう。恐れや不安、苛立ちと戦うために神が与えてくださった最強の武器、ロザリオを手にして、天におられるイエスさま、マリアさまとつながりながら、この試練を乗り越えてゆくことができますように。

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