バイブル・エッセイ(1148)聖霊への冒涜

聖霊への冒涜

 イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。国が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争えば、その家は成り立たない。同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」(マルコ3:20-35)

「人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される」とイエスはいいます。神さまはわたしたち人間の弱さを知り、わたしたちをあるがままに受け入れてくださるということです。まさに福音そのものといっていい言葉ですが、一つだけ例外があるとイエスはいいます。「聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う」というのです。神さまでさえゆるせない罪、「聖霊を冒涜する」罪とはいったいなんなのでしょう。
 アダムとエバの話から考えてみましょう。アダムとエバは、神から禁じられていたにもかかわらず木の実を食べてしまいました。悪魔がエバを誘惑したとき、あるいはエバがアダムに木の実を食べさせようとしたとき、おそらく彼らの心の中には、「神さまの命令に背き、神さまを悲しませてはいけない」という思いがあったでしょう。それが聖霊の働きだと思います。この思いを否定し、「いや、神さまはわたしたちをだまして、このおいしい木の実を独り占めにしようとしているのだ」と考えるのが、「聖霊を冒涜する」ということだと思います。聖霊を冒涜するとは、神さまの愛を疑い、神さまの愛に背を向けるということだといってよいでしょう。
 それでも、自分が犯した罪を素直に認め、神さまの愛に立ち返るなら、神さまは必ずゆるしてくださるはずです。しかし、アダムとエバはそうしませんでした。それどころか、アダムは「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので食べました」といって、自分が犯した罪をエバと、エバを造った神さまのせいにしたのです。エバはエバで「蛇がだましたので、食べてしまいました」といって、自分の罪を認めようとしませんでした。その結果、二人は「エデンの園」から追放されてしまったのです。頑なに自分の罪を認めず、自分の罪を他人のせい、神さまのせいにしようとする。そのような態度こそが「聖霊への冒涜」だといってよいでしょう。自分の罪を認めず、聖霊を冒涜し続ける限り、神さまであってもその人たちを救うことができないのです。
 自分自身に当てはめて考えてみると、聖霊を冒涜する罪を犯していることがたびたびあるのに気がつきます。自分が間違いを犯したのに、「こんな忙しいときに仕事を頼んでくる相手が悪いのだ」とか「あの人があんなことをいうからいけないのだ」とか、そのようにして自分の罪を相手に押しつけようとする態度。本当は相手にもっと親切に、丁寧に対応すべきだったとわかっているのに、決して悔い改めようとしない態度。それこそ「聖霊への冒涜」なのです。
 神さまがゆるしたくても、わたしたちの方で「わたしは悪くない。ゆるされる必要などない」といいはっている限り、すなわち聖霊を冒涜し続けている限り、ゆるされることはできません。謙虚な心で自分自身の非を認め、聖霊の声に従って相手に謝るとき、自分の行動を改めるとき、わたしたちはゆるされ、神の愛に立ち返ることができるのです。自分の弱さを素直に認め、神の愛に立ち返ることができるよう、心を合わせてお祈りしましょう。

youtu.be

※バイブル・エッセイが本になりました。『あなたはわたしの愛する子~心にひびく聖書の言葉』(教文館刊)、全国のキリスト教書店で発売中。どうぞお役立てください。