カルカッタ報告(36)8月27日チッタガールへ①


 アベロ神父さんと香部屋で簡単な朝食をとった後、1階のボランティアの部屋に行った。しかし、扉は閉じられていた。「神の愛の宣教者会」の休日で、ボランティアの仕事もなくなる木曜日にはボランティアの部屋も閉じられるようだ。もちろん朝食も準備されていない。昔は木曜日でも朝食が出たが、きっとボランティアの数が増えたために対応しきれなくなったのだろう。
 マザー・ハウスの玄関から傘をさして表に出ると、大通りに大型バスが止まっていて、たくさんのボランティアたちがすでに乗り込んでいるのが見えた。バスの中に入ると、もうほとんど満席だった。わたしのグループのメンバーたちや他の日本人のボランティアたちも乗っていた。デュアルテ神父さんの姿も後ろの方に見えた。わたしは日本人ボランティアの近くに席を見つけて座った。
 彼らとこれから行くチッタガールのハンセン氏病センターのことなどを話しているとき、後ろの方からパタンという大きな音がした。驚いてそちらの方を見ると、なんとかなり大きな窓が窓枠ごと消えてなくなり、その辺りの席だけが周りより明るくなっていた。ボランティアの1人が暑苦しさに耐えかねて窓を開けようとした途端に、窓が窓枠ごと下に落ちてしまったのだ。
 日本ではまったくありえないような出来事だが、インドではなんでも起こりうる。窓の下に誰も通行人がいなかったのが不幸中の幸いだった。もし誰かが下を歩いていれば、命にかかわる大事故になっただろう。運転手は慌てて車を降り、どこかに行ってしまった。これでしばらく出発が遅れることは間違いがない。
 一体どうなることかと思いながら待っていると、40分ほどして代わりのパスがやってきた。全員がそちらに乗り換えたりしているうちに、時刻は予定の出発時刻を1時間ほど過ぎ、もう8時になっていた。降りしきる雨の中、50人ほどのボランティアたちを満載したパスは一路チッタガールを目指して出発した。
※写真の解説…シスターたちのサリーを織るハンセン氏病の患者さん。1994年、チッタガールにて。