カルカッタ報告(35)8月27日マザーの洗礼記念日

8月27日(木)マザーの洗礼記念日

 朝5時すぎに目が覚めた。窓の方から水が滴るような音が聞こえたのでカーテンを開けてみると、そら一面を覆った黒雲から雨がしとしと降っていた。雨季にはありがちな天気だ。
 カルカッタの雨季は、基本的に1日1度の激しい雨だけで済むことが多いのだが、1度降り始めた雨が何日もしとしとと降ったりやんだりし続けるようなこともときどきある。ひどいときは何週間もそんな雨が降り続くことがあり、そんなときにはカメラのレンズにカビが生えたりして往生したものだ。今日の雨は、どうやら後者の長引く雨のようだった。今日は郊外にあるハンセン氏病患者さんたちのための施設をバスで訪ねることになっているのに、あいにくの天気だ。
 今朝のミサは、アベロ神父が主司式だった。わたしは昨日と同じように共同司式司祭として聖書の朗読を担当した。今日のミサは、誕生日の翌日にマザーが幼児洗礼を受けたことを記念するミサだった。昔、ボランティアをしていた頃はたびたびアベロ神父の司式するミサに出席したものだったが、今こうしてアベロ神父の隣に立っているということがとても感慨深かった。
 ミサの後、香部屋で着替えていると、1人の修練者がそばに近寄って来た。わたしが英語で挨拶すると、なんと彼女から日本語の返事が戻ってきた。日本人の修練者なのだ。一昨日、Sr.クリスティーと話していたとき1人日本人の修練者がいるという話しは聞いていたが、日焼けした顔と修練者のベールのせいで彼女が近づいて来ても日本人とは気付かなかった。
 Sr.マーガレット・メリーからわたしのことを聞かされ、前から1度わたしに会いたいと思っていたそうだ。Sr.マーガレット・メリーが帰天したあと、わたしを霊的養子にして祈ってくれているSr.ジョセフ・マイケルも、先日ローマからカルカッタの本部を訪れたとき彼女にわたしのことを話していったという。わたしはあくまでイエズス会員であって「神の愛の宣教者会」のメンバーではないが、彼女たちの祈りに支えられて今日があることは間違いがない。
 わたしの叙階の知らせが届いたとき、Sr.マーガレット・メリーは「司祭部門の神父さんたちが、彼を日本に帰してしまったことを悔しがっています。召命の神秘は誰にも分からないものです」と言っていたそうだ。かつて、わたしは1度「神の愛の宣教者会」の司祭部門に入ろうとしたことがあるが、結核に罹ったことを初めとするいくつかの理由から断念して日本に帰った。Sr.マーガレット・メリーは、きっとあのときのいきさつを覚えていてそんなことを言ったのだろう。
 その日本人の修練者は、順調に行けば今年の12月には初誓願を立てられるそうだ。日本人で「神の愛の宣教者会」に挑戦するひとは多いが、厳しい生活環境や規律が大きな壁になってうまくいかないことが多い。もし彼女が誓願を立てられれば、久しぶりの日本人シスター誕生になるだろう。
 わたしの知っている限り「神の愛の宣教者会」の日本人シスターは十数人で、その数はこの15年でほとんど増えていない。この10年くらいでわたしの身近からも何人かの若い女性たちが「神の愛の宣教者会」に挑戦したが、うまくいったケースは1件もなかった。だが、この日本人修練者は、どうも雰囲気が他の人たちと違うようだ。カルカッタの生活にすっかり溶け込んでいることが、その屈託のない笑顔からよく分かる。英語も問題なく使いこなしている。「神の愛の宣教者会」の日本人シスターには元看護師さんが多いが、彼女も看護師の資格を持っているということだった。
 5分ほどしか話す時間はなかったが、この人はきっと「神の愛の宣教者会」で幸せにやっていけるだろうとわたしは確信した。これまで「神の愛の宣教者会」のシスターたちからは祈りで支えられるばかりだったが、これからはこの日本人修練者のために祈ることでわたしも彼女たちの召命のために貢献したいと思う。
※写真の解説…街灯に照らされたマザー・ハウスの入口に通じる路地。朝5時半頃。