カルカッタ報告(41)8月27日ハンセン氏病センター④


 ブラザーたちは、次にわたしたちを患者さんたちの病棟に案内してくれた。中に入っていくと、男女に別れた病室のそれぞれに30ほどの簡易ベッドが並べられていた。患者さんたちに与えられた個人的なスペースは、その小さなベッドだけがすべてだ。それでも、インドの路上に放り出され、物乞いなどをして暮らすよりははるかに恵まれているのかもしれない。200人ほどの患者さんたちが、そのような状況の中で生活していた。
 ほほ笑みながら両手を合わせ、「ナマステ」とインド風の挨拶をしてわたしたちを歓迎してくれる患者さんたちの姿を見ながら、わたしは暗い気持ちになった。病気で指や鼻、目などを失った彼らは、一体これからどんな人生を送ることになるのだろうか。ここでこれから何十年も生活することになるのだろうか。それは、あまりにも過酷な現実だ。だが、そんなことを考えながら歩いているわたしをよそに、患者さんたちは淡々と日々の生活を続けていた。
 次にわたしたちは、作業棟に案内された。このセンターでは、患者さんたちがわずかな額であっても自分でお金を稼ぐ喜びを味わうことができるように、作業所を設けているのだ。作業所では、患者さんたちが古タイヤを材料にしてサンダルを作ったり、織り機を使って布地を織ったりしている。
 布地作りは、糸をより合わせる作業から始まる。作業棟の入口あたりで、目の見えない患者さんが一生懸命に木製の糸車を回して糸をより合わせている様子が印象的だった。しばらく進んでいくと、大きな織り機を使って患者さんたちが布地を織っていた。織られていたのは、「神の愛の宣教者会」のシスターたちが着ている、白い布地に青い3本線の入ったあのおなじみのサリーの布地だった。シスターたちが着るサリーは、すべてここで作られて世界に送られるという。
 次に、子どもたちのためのクラスの様子を見せてもらった。入所している患者さんたちの子どものためのクラスだ。この施設では、患者さんたちの子どもも一緒に引き取って世話をしているのだ。わたしたちが入っていくと、教師の男性がわたしたちに国籍を尋ねた。ボランティアの1人がドイツだと答えると、なんと子どもたちがドイツ語で歌を歌い始めた。次のボランティアがスペインだと答えると、子どもたちはスペイン語の歌を歌った。どうやら外国からの訪問者を歓迎するために、子どもたちにいろいろな言葉で歌を教えているらしかった。わたしたち日本人ボランティアのためにも、日本語の歌を歌ってくれた。歌を歌う子どもたちの様子があまりにもかわいらしいので、何人かの女性のボランティアたちはその場を離れられなくなってしまったほどだった。
※写真の解説…ハンセン氏病の女性とその子ども。