カルカッタ報告(40)8月27日ハンセン氏病センター③


 線路を渡って、ハンセン氏病患者センターの中心部に入った。とても広い敷地の中に、患者さんたちの居住棟や治療室、作業棟、学校棟、ハンセン氏病資料室などが並んでいる。庭には大きな池があり、魚が養殖されている。15年前から建物の建て替えは行われていないようだった。
 わたしたちはまず、ハンセン氏病の資料室に案内された。病気がどのように進行していくかを写真付きで解説するパネルが並べられていた。はじめ身体の末端の神経が犯され、その部分が無感覚になる。無感覚になった部分になんらかの理由で傷がつき、本人が気付かないままに患部が腐敗していく。気づいたときには、その部分、足の指なり腕なりを切断せざるをえない状態になっている。眼球の周りの神経が腐って目が飛び出たり、鼻が崩れ落ちたりすることもある。そのようにして病気が進行していくそうだ。
 ハンセン氏病の菌はとても弱いので、大部分の感染は子どもの頃に起こったと考えられるという。成人間での感染はほとんどないそうだ。子どもの頃に感染し、大人になってから他の病気などで体力が弱った時に病原菌が活動を始めるらしい。昔はそういう知識がなかったので、ハンセン氏病の人たちは社会から隔離され、いわれのない差別を受けていた。
 差別の歴史は、聖書の時代にまでさかのぼる。日本でも、戦前はハンセン氏病患者が強制的に施設に閉じ込められ、脱走を試みた人たちが懲罰房に入れられて命を落とすというようなことまであったらしい。10年ほど前イエズス会の修練者として御殿場にあるハンセン氏病患者さんたちのための施設で1ヵ月の実習をしたとき、患者さんたちから当時の話しを聞いたが、今では信じられないような悲惨な話しばかりだった。娘がハンセン氏病に感染したことが分かった晩、夕食後に全員で自殺した家族までいたという。わたしにその話をしてくれた患者さん自身、国立大学の学生のときに感染が分かって施設に収容され、そのまま50年以上その施設で暮らしているとのことだった。
 1941年にプロミンという特効薬が発見されて以来、ハンセン氏病は治る病気になった。しかし、体の崩れたハンセン氏病患者さんたちに対する世間の目は厳しく、完治した患者さんもなかなか施設の外に出られないのが現状だ。日本では新規の患者さんはほとんど出なくなったが、インドではまだ毎年たくさんの人たちがハンセン氏病を発病し、深刻な社会問題になっているという。
※写真の解説…古タイヤから作ったサンダルを持った患者さん。