マニラ日記(20)スモーキー・マウンテン再訪Ⅰ〜18年前の記憶


10月17日(日) スモーキー・マウンテン再訪
 「神の愛の宣教者会」のシスターたちに誘われて、スモーキー・マウンテンのスラム街を訪ねてきた。
18年前の記憶
 スモーキー・マウンテンという名前は、かつてこのスラム街の隣に存在した巨大なゴミの山に由来している。マニラ中から運ばれてきたあらゆる種類のゴミが積み上げられたその山は、いつも自然発火によって煙を上げていた。その状況を端的に表現したのがスモーキー・マウンテンという呼び名だ。
 このゴミの山の周りに、数千人の人たちが暮らすスラム街があった。アパートなどを借りることができない貧しい人たちが、誰も住まないゴミの山の周辺に小屋を建てて住んでいたのだ。スラム街から外に働きに行く人たちもいたが、多くの住民たちはゴミの山から金属、プラスチックなどを拾い集めて廃品回収業者に売ることで生計を立てていた。
 わたしがこのゴミの山を訪れたのは、今から18年前のことだ。大学4年生のときに、知り合いの神父さんが企画したフィリピン体験学習ツアーに参加し、その一部としてスモーキー・マウンテンを見学したのだ。あのときのことは、今でもはっきりと覚えている。ゴミの山の入り口でバスを降りると、まず凄まじい悪臭が鼻をついた。舗装されていない道は真っ黒な泥でぬかるみ、あちこちに大きな水たまりがあった。そこら中にちらばったゴミや汚物の周りには無数のハエが飛んでいた。
 しばらく進んでいくと、道の両側にたくさんの小屋が現れた。信じられないことだが、この劣悪な環境で生活している人たちがいるのだ。スラム街を抜けてゴミの山に登っていく途中で、わたしはさらに信じられない光景を目にした。大型トラックの荷台から、ちょうどゴミが投棄されたときだった。何十人もの人々がゴミをめがけて我れ先にと走り寄り、投棄されたゴミを拾い始めたのだ。「人間がこんな生活を強いられている、しかも日本から飛行機でわずか数時間の距離にある国で。」この現実を目の前にして、わたしはただ唖然とするばかりだった。
※写真の解説…ジプニーの奥に見える緑の丘が、かつてのスモーキー・マウンテン。