2011年4月10日(日) 福島で感じたこと
4月6日から9日の3日間、福島県を訪れ、二本松市に住む友人の案内で二本松市内にある避難所5箇所と福島県内の教会5箇所を訪ねて周った。被災地の空気を肌で感じ、人々の苦しみや悲しみを受け止めることから被災地支援の活動を始めたいと思ったからだ。昨年マザー・テレサ写真展を福島の2箇所でしていただき、お世話になった方たちがたくさんいるということが、被災地の中でも特に福島を選んだ理由だ。
二本松教会の信者さんたちの話
まずカトリック二本松教会を訪れ、被災された信者さんたちのためにミサを立てることからわたしの福島での活動が始まった。ミサには、平日にもかかわらず8人ほどの信者さんたちが集まってくださった。主日のミサでも参加者は10人程度というとてもちいさな教会だ。ミサの説教では、先の見えない不安の中で自分の未来を神の手に委ねる信仰について話した。話しているうちに、信者さんたちが次々に涙をこぼし始められたのがとても印象的だった。日常生活の中で抑えていた感情が、わたしの話をきっかけにあふれだしたように見えた。きっと、皆さん心に苦しみを抱えていらっしゃるのだろう。
ミサの後、お茶を飲みながら信者さんたちと話した。二本松市内の被害は沿岸部に比べれば小さいが、それでも放射能の影響は深刻だとのことだった。何より困るのは、放射能を恐れるあまり福島産というだけでジャガイモやお米などの農作物が売れなくなること、そして観光客が福島に全く来なくなることだという。このような状況が数ヶ月も続けば、農業と観光によって成り立つ福島の経済は壊れてしまう。福島で生活を続けることが難しくなってしまうのだ。原発の安定化作業が長期化の様相を見せ始めた今、福島に住むすべての人々の心に将来への大きな不安が影を落としつつあるようだ。
「放射能を恐れるのもわかるが、ここで生きているわたしたちのことも忘れないでほしい」という1人の女性の言葉が強く印象に残った。「福島」という言葉を聞いたとき、放射能に汚染された空気や水を思い出して恐れるのではなく、そこで生きる人たちのことを思い出してその人たちの苦しみに共感することで何かが変わるかもしれない。
※写真の解説…カトリック二本松教会でのミサの様子。