やぎぃの日記(107)福島はいま7〜国道6号線


電信柱にそって国道6号線が走っている、津波の先端がこの辺りにまで達したことを、取り残された漁船やタンクなどが物語っている。
福島はいま7〜国道6号線
 原町から二本松市への帰路、国道6号線を使って相馬港まで足を延ばした。南相馬市の沿岸部は原発だけでなく津波によっても大きな被害を受けている。その被害の跡を一目、見ておこうと思ったのだ。原町教会の信者さんの話では、原町区だけで500人以上の死者が出たという。教員をしておられる1人の信者さんは、この津波で5人の教え子を失ったとのことだった。いつくかの集落が跡形もなく流され、たくさんの命が奪われた。
 教会からまっすぐ海岸沿い向かい、防波堤に上がって周りを見回してみた。しかし、見えるのはどこまでも広がる更地ばかりだ。畑だったのか、集落だったのか、今では見分けがつかない。ところどころに残っている建物の土台や電信柱の残骸などが、かつての集落の存在を暗示していた。海岸沿いに南の方を眺めると、そこには原発から20キロ圏内の警戒区域が広がっている。この海岸をさらに進んでいけば、そこに福島第一原発があるはずだ。
 国道6号をしばらく進んでいくと、驚くべき光景を目にした。海岸から数キロ内陸に入り込んだこの道沿いの畑に、たくさんの漁船が転がっていたからだ。漁船は持ち主がわからないと撤去できないので、そのまま放置されているらしい。これだけおびただしい数の漁船がここまで運ばれてしまうとは、一体どれだけ巨大な津波がこの地を襲ったのか。
 相馬港の周辺でも、ただ建物の土台だけが残された空き地を何か所か見かけた。かつての集落の跡だろう。ここに住んでいた人たちは、今どうしていることだろうか。果たして何人が助かったのか。わたしたちは車を降りて空き地に立ち、津波によって命を奪われた人々の魂の安息のために祈りを捧げた。人々が味わったすべての痛み、恐怖、絶望が、神の御手の温もりのなかで癒されるよう心から祈らずにいられなかった。

相馬港付近にて。津波の威力の激しさを物語る建物の残骸。

この辺りはもう残骸の撤去が済んだのか、建物の土台だけが残されていた。
国道6号線から撮影された津波の動画》