2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧

こころの道しるべ(2)流されないために

流されないために すさまじい勢いで流れてくる情報に押し流されないためには、心の奥深くにしっかり錨を下ろしておく必要があります。静かに自分と向かい合い、地上のすべてが変わっても、決して変わることのない自分自身を見つけられますように。 ※このカー…

こころの道しるべ(1)何ができるか

何ができるか 「どうしたら自分の命を守れるか」だけを考えていると、かえって生きる力を失います。「どうしたら愛する人の命を守れるか、苦しむ人をこれ以上増やさないため自分に何ができるか」と考えれば、毎日に生き甲斐を見つけられるでしょう。 ※このカ…

バイブル・エッセイ(906)無力なときにこそ

無力なときにこそ この日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人…

バイブル・エッセイ(905)平和があるように

平和があるように その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。…

バイブル・エッセイ(904)上にあるものを見る

上にあるものを見る あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。あなたがたは死んだのであ…

バイブル・エッセイ(903)自分に死んで、キリストに生きる

自分に死んで、キリストに生きる あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなり…

バイブル・エッセイ(902)悪からでさえ善を

悪からでさえ善を さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく…

バイブル・エッセイ(901)新たな一歩を踏み出すために

新たな一歩を踏み出すために 過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切…

バイブル・エッセイ(900)イエスという答え

イエスという答え 昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そこに居合わせた人々…