カルカッタ報告(45)8月27日インド博物館②


 紀元前6世紀にゴータマ・シッダールタが始めた仏教は、紀元前3世紀にマウリヤ朝アショーカ王によってインドの国教とされて以来急速にインド全土に広まり、隆盛を極めた。インドの周辺の国々にも伝えられ、中国を経て6世紀には日本にも伝わった。7世紀に、ブッダの真の教えを求めた玄奘三蔵が、苦難の旅の末にビハール州のナーランダ僧院を訪れたことはあまりに有名だ。
 しかし、それほどの隆盛にもかかわらず、仏教は14世紀頃までにインドからほとんど姿を消してしまった。政治的な要因などもあるようだが、どうやらヒンドゥー教に飲み込まれてしまったというのが実際のところらしい。仏教は消滅したのではなく、ヒンドゥー教の一部として命脈を保ったのだという人もいる。
 ヒンドゥー教というのは、本当に不思議な宗教だ。象の頭をした神様を熱心に拝んでいる人もいれば、人間の生首を首飾りにし、口から血を滴らせた女神を拝んでいる人もいる。そうかと思うと、完全に脱俗して何も持たない貧しさの中に生きることを選んだ、サドゥーと呼ばれる修行者たちもいる。サドゥーの中にも、一生を木の上で過ごすような人がいるかと思うと、別の人たちはガンジス河の岸辺で一心不乱にヨガをしている。
 傍から見ているわたしたちには、何がなんだかよく分からない。宗教のあらゆる要素が、ヒンドゥー教という1つの名前の中でごった煮になっているというような印象を受ける。超自然的なものに救いを求める人間のあらゆる思いを受け止めながら、変幻自在に形を変えて成長していく、まるでアメーバのような宗教だ。
 おそらくゴータマ・シッダールタはそのようなヒンドゥー教の猥雑さを嫌って、ひたすらな修行によって解脱に至る道としての仏教を説いたのだろう。その試みはしばらくのあいだ成功したように見えたが、結局もとのヒンドゥー教に飲み込まれてしまった。救いを求める民衆の力をすべて吸いこみ、圧倒的な勢いで成長していくヒンドゥー教の前に、ただ高潔な理想を説く仏教はあまりに非力だったのかもしれない。そんなことを思いながら端正なブッダの像を見あげていると、その目元にかすかな悲しみが漂っているような気がした。
※写真の解説…4世紀頃に作られたブッダの像。