マザー・テレサの言葉を読む(6)自分を受け入れられないときも


「周りの人々から受け入れられず、
自分自身でさえ自分を受け入れられないときでも、
神さまはあなたを愛しています。」

 この言葉は1993年、自らの死が近いことを悟ったマザーがシスターたちに送った長文の手紙の一節です。書かれた場所がベナレスというヒンドゥー教の聖地だったことから、この手紙は「ベナレスからの手紙」と呼ばれ、マザーの霊的遺言状と見なされています。
 その貴重な手紙の中でも読む者の心を最も打つのが、この言葉とその前後に記された言葉ではないかとわたしは思っています。マザーは、シスターたちに次のように言います。
「悪魔は人生の痛みや、わたしたち自身のあやまちを利用しようとしています。イエスが自分を愛しているなんてありえないという考えが、あなたたちにまさに忍び寄ろうとしています。悲しいことに、その考えはイエスがあなたたちに語ろうと待ち望んでいることとはまったく反対なのです。」
 自分の直面している痛みを誰にも理解してもらえないとき、あるいは失敗して周りの人たちから受け入れてもらえず、そんな自分を自分自身でさえ受け入れられないとき、わたしたちは「神からさえも見捨てられた。自分はもうだめだ」と思い込んで心を閉ざしてしまいがちです。しかし、それは悪魔の誘惑だとマザーは言います。悪魔は、わたしたちの心をそのような思い込みの殻で閉ざし、神の愛から遠ざけようとするのです。
 自分の殻の中に閉じこもっているわたしたちのすぐ目の前から、イエスが「わたしはあなたを愛している」と語り続けています。失敗ばかりの弱いわたしたちを、イエスはありのままで受け入れてくださっているのです。イエスから愛されるために、わたしたちは実際の自分以上の自分になる必要などないのです。なぜわたしたちは、ありのままの弱い自分を素直に受け入れることができないまま、自分で自分を責め続けるのでしょう。自分はだめだと決めつけて、殻の中に閉じこもってしまうのでしょう。マザーは、冒頭の言葉に続けて次のように語っています。
「信じなさい、あなたたちはイエスにとってかけがえのないものなのです。あなたが苦しんでいることを、すべてイエスの足元に運びなさい。ありのままでイエスから愛されるためには、ただ心を開くだけでいいのです。残りのことはイエスがしてくれます。」
 悪魔の誘惑に直面したときにわたしたちがすべきことは、わたしたちの心を堅く覆った絶望という殻を打ち壊し、心をイエスに向かって開くことだけなのです。そうすれば、ぬくもりに満ちたイエスの愛がわたしたちの心に流れ込み、わたしたちの心をすみずみまで癒してくれることでしょう。
(マザーが大切な手紙の中でこのことを強調した背後には、おそらくマザー自身の「霊的な闇」の体験があると思われますが、そのことについてはまた回を改めて御話ししたいと思います。)