やぎぃの日記(153)山本襄治神父様の思い出


山本襄治神父様の思い出

 神学生時代の4年間、霊的指導司祭、聴罪司祭としてわたしを導いてくださった山本襄治神父様が、9月14日に84歳で帰天された。イグナチオ教会の主任司祭や上智大学教授、理事長などを歴任された山本神父様に、何かの機会にお世話になった、よくしてもらったという思い出を持つ方は日本全国に無数におられ、わたしなどはその最末端に連なる者にすぎないが、いくつか印象に残っている思い出を皆さんと分かち合いたいと思う。
 わたしと山本神父様の一つの接点は結核だ。山本神父様もわたしも、結核によってイエズス会への入会を阻まれ、足踏みしていた時期がある。わたしが神学の勉強で焦りを感じ、そのことを打ち明けたとき、山本神父様は次のようにおっしゃった。「君も結核をしたからわかるだろうけれど、結局のところ、なんでも神様の手に委ねるしかないんだよ。ぼくたちは、自分の健康のことさえ自分ではどうすることもできないんだからね。」その言葉を聞いて、わたしはとても納得した。病気のときには、ただ神様の手に全てを委ねて気長に待つしかないが、元気になると何でも自分の力でなんとかなるという傲慢が生まれ、それが焦りをうむ。焦りの根底にあったのは傲慢なのだと気づいて、心に再び安らぎが戻った。
 ある時わたしは、当時、ある種のブームになっていた新しい黙想の方法を祈りに取り入れようかと思って山本神父様に相談した。すると、山本神父様はこうおっしゃった。「それもいい方法だけど、ぼくらにはイグナチオの霊操があるんだから、まずそれをやったら。あちこちに穴を掘らないで、まず自分の足元をしっかりと掘っていくことだよ。」水脈に当たらないからといって、途中で穴を掘るのをやめ、別の穴を初めから掘り直すということを続けるのは愚かなことだ。自分の足元を深く掘っていけば、必ずそこで水脈を掘り当てることができる。山本神父様は、そうおっしゃりたかったのだろう。これも確かにその通りで、その後こつこつと霊操の祈りを続けるうちに、わたしはある程度まで「命の水」の水脈を掘り当てることができた。
 わたしは、イグナチオ教会で行われていた山本神父様のキリスト教入門講座のヘルパーを2年間ほどしていたこともある。そこでのわたしの役割は、聖書を朗読することと、受講生からの質問に答えることだった。最初のうち、わたしは受講生から寄せられるまったく思いがけない質問に当惑するばかりで、なかなかうまく答えることができなかった。あるとき、そのことを山本神父様に打ち明けると、神父様はこうおっしゃった。「君は、質問になんとかうまいこと答えてやろうと考えてるんじゃないか。大切なのは、うまく答えるかどうかじゃなくて、分からないことは分からないと認めることだよ。」確かに、当時のわたしは受講生から侮られまいと思って、何とかうまく答えようと背伸びをしていた。そんな傲慢な態度は、キリスト教入門講座ではむしろ躓きになる。分からないことは分からないと認める謙遜さの模範を示すことの方がよほどキリスト教的だと、山本神父様の言葉で初めて気が付いた。
 山本神父様から教えていただいたことを書いていけば、いつまでも終わることがない。神父様から受け取った恵みを、次の人に手渡していくことができるよう、わたしも全力を尽くして福音宣教に取り組みたいと思う。
※写真の解説…1枚目、六甲教会の百合。2枚目、入門講座の遠足で榛名湖に行ったときの記念写真。