やぎぃの日記(156)山本襄治神父様の思い出2


山本襄治神父様の思い出2

 埼玉の実家での用事が片付いたので、山本襄治神父様の御遺骨が安置されている上石神井ロヨラ・ハウスに行ってきた。ロヨラ・ハウスというのは、高齢や病気のために介護が必要になったイエズス会員たちが生活する修道院で、山本神父様が最後の数年間を過ごされた場所でもある。
 聖堂で山本神父様の御遺骨が納められた木箱を前にしたとき、あの大柄な神父様がこんな小さな箱の中に納まってしまったということに悲しみを感じ、涙が出た。だが、しばらく泣いているうちに、山本神父様が木箱の向こうから「なに泣いてるんだい。みっともないなあ、君もイエズス会員だろう」といつも調子で語りかけてくださったような気がして、気を取り直すことができた。そこから、わたしの中で山本神父様から受ける最後の「霊的指導」が始まった。
 思い出したのは、数年前、この家でお会いしたときのことだ。そのとき山本神父様は、この家に移ってから2年がたったことを感慨深く振り返りながら「君、信じられるかい。この2年間、ぼくはこの家から出たことがないんだ。このぼくがだよ」とおっしゃった。確かに、あの活動的な山本神父様が2年もじっとしているなんて信じられないようなことだった。わたしが驚くと、「毎日ここからみんなのために祈ってるわけだが、そんな暮らしも悪くないよ。さびしいともつまらないとも思わない」とのこと。きっと、祈りの中で神と共に過ごし、これまでに関わって来られたたくさんの方々のために祈ることをご自分の最後の使命と思っておられたのだろう。外に出なくても、祈りの中で誰とでも繋がり、誰とでも出会うことができる、そんな心持だったのかもしれない。祈りの中ですっかり満ち足りた生活をしておられることが、その穏やかな表情からうかがい知れた。
 どんな状況でもその置かれた場所で最善を尽くし、堂々と振る舞って周りの人々の拠り所になるのが山本神父様だった。それは、ロヨラ・ハウスに移ってからも変わらなかったということだ。聖イグナチオの「霊操」に従って心と生活を整え、人生の「原理と基礎」をしっかり定めた人はこのようになるのかと、身近で生活を拝見しながらわたしはいつも思っていた。御遺骨が納められた木箱と、その向こう側におられる山本神父様に向ってわたしは心の中で「いつの日か、わたしもあなたのようなイエズス会員になれるようお祈りください。これからも天国からわたしを指導してください」と語りかけた。「だいじょうぶだよ。ぼくだって苦労はたくさんあったし、君もなんとかなるさ。」山本神父様がそう言って下さったような気がした。
 帰り際に、ヘルパーさんが山本神父様の部屋を見せてくださった。ベッドは片付けられていたが、他は手つかずのままだという。神父様がいつも着ておられたお気に入りのチェックのシャツやループタイなど、衣料品箱の中には懐かしい品々が収められていた。わたしが驚いたのは私物の少なさだ。数年間にわたる長い時間を、神父様は外に気晴らしを求めることなく、ほんのわずかな物だけを手元に残し、ただ神との交わりの中で満ち足りた生活しておられたのだ。清貧とは、貞潔とは、従順とは何かを、その部屋が全て教えてくれたような気がした。あの部屋の様子を、神父様からわたしへの最後のメッセージとして、しっかり心に刻みつけておきたい。