カルカッタ報告(76)8月29日ダヤ・ダンでのミサ②


 ところが、M.C.の神父さんや神学生たちと一緒に生活を初めて1週間くらいの頃から、わたしは毎日午後になると熱を出すようになった。37度台の微熱だった。もしかするとマラリアかもしれないということでマラリアの薬を飲み、しばらくのあいだ午後は安静に過ごすことになった。そのようして更に1週間ほどが過ぎたとき、思いがけない出来事が起こった。あれは、神学生たちと遊んでいたときのことだった。わたしは激しく咳き込んで、少量の血を吐いたのだ。
 そのことを報告すると、神父さんはわたしをSr.アンドレアのところに連れて行ってくれた。Sr.アンドレアは、わたしを連れてすぐ病院へ向かった。病院のお医者さんは、わたしの肺のレントゲン写真を見ると直ちに「これは結核です」と診断を下した。左肺に大きな黒い空洞ができているのが、素人目にもはっきりわかった。近頃、カルカッタでもあまり見ないほどの重症の結核だということだった。
 Sr.アンドレアは、結核は神様からの恵みのようなもので、シスターたちの多くが若いころに体験していると言って慰めてくれた。治るまでの世話もわたしたちがするから安心しなさいとまで言ってくれた。ただし、これ以上M.C.ファーザーズの家にいては彼らに迷惑だから、とりあえずホテルに戻るよう勧められた。そういうわけで、わたしは荷物をまとめてニムタラ・ガートを離れることになったのだった。ホテルに戻るときは、神父さんや神学生たちが全員ニムタラ・ガートの前に出て見送ってくれた。それが、ニムタラ・ガートを見た最後だった。
 その場所に、思いがけず司祭として戻ってくることができたのだ。車の中で、わたしは神の摂理ということを思わずにいられなかった。いつか自分がここでミサを挙げることになるなんて、14年前にはまったく想像もつかなかったことだ。
※写真の解説…果物屋さん。A.J.C.ボース・ロードにて。