祈りの小箱(95)『目を逸らしてはいけない事実』


『目を逸らしてはいけない事実』
 自然災害や事故、病気などの思いがけない出来事は、いつまでもあるのが当然と思っていたものを突然に奪い去ってゆきます。苦労して建てた家や、何とかして守ろうとしていた家族、かけがえのない友人を一瞬のうちに奪い去っていく自然災害。人生計画を一瞬にして崩壊させる事故。これまで当然と思ってしていた歩くことや話すこと、手を動かすことが突然できなくなる病気などは、本当に明日起こっても、あるいは1秒後に起こってさえおかしくないことなのです。
 この当然の事実から、わたしたちは普段、目を逸らしてしまっているように思います。すべてをこれまで通り持ち続けられることを前提として、もっと財産を増やそう、もっと偉くなろう、もっと力を持とうなどと考えたり、一度手に入れたものを何とか守るために争ったり、不安に陥ったり、恐れたりするのです。ですが、どんなに手に入れ、どんなに必死に守ろうとしても、それらはいつか突然に奪われます。もし自然災害や事故、病気などがなかったとしても、人間はやがて必ずいつか、「ある日突然に」死を迎えるのです。
 この事実を直視するとき、わたしたちは人生について考え直さざるをえなくなるでしょう。もしすべてを奪われるのなら、そんなに一生懸命になって手に入れたり、守ろうとしたりすることに、いったいどんな意味があるのでしょうか。わたしたちの日々の営みには、いったいどんな意味があるのでしょうか。人間関係や地位、名誉なども含めて、持っているものに人生の意味を見出そうとするなら、わたしたちの人生は虚しいと言わざるをえないでしょう。わたしたちは、自然災害や事故、病気、そして死を前にしたときまったく無力で、それらを最後まで守り抜くことはできないからです。
 わたしたちの人生の意味は、持っているものではなく、生きていること自体にあるとわたしは思います。毎日を精いっぱいに生きること、思い切り笑い、思い切り泣き、大きな声で歌い、全力で走り、家族や友人たちと心ゆくまで語り合う一日一日が、わたしたちの生きる意味そのものだと思うのです。神様から与えられたすべての力を使って、命を精いっぱいに生き抜くこと。家族や友人たちと一緒に幸せになること。この世界を、昨日よりも少しだけよいものにすること。それ以上のことを人生に求めるなら、それは贅沢というものでしょう。財産や地位、名誉、人間関係などは、そのように精いっぱいに生きている毎日の結果として与えられるものにすぎません。それらに執着して、一日一日をつまらなくしてしまうなら、それはまったく本末転倒でしょう。どんなに大切に守っているものも、家族や友人、自分の命さえも、明日には奪い去られるかもしれない。阪神淡路大震災の発生から19年を迎えたいま、改めてこの事実を直視し、人生について考え直してみたいと思います。
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※写真…灘丸山公園から見た神戸の街。