バイブル・エッセイ(914)人を恐れるな

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人を恐れるな

「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」(マタイ10:26-31)

「人々を恐れてはならない」とイエスは言います。宣教の旅に出れば、必ず人々の反対にあうだろう。迫害され、殺されてしまうかもしれない。だが、恐れるな。恐れずに、宣教せよ。恐れずに、神から与えられた使命を果たせ、ということでしょう。

 この言葉は、現代の日本において神から派遣され、宣教の使命を与えられたわたしたちも、深く心に刻むべき言葉だと思います。確かに、現代の日本において、宗教を理由に迫害されることはあまりないでしょう。ですが、わたしたちが神から与えられた使命を果たすこと、力強く福音を告げ知らせ、貧しい人々、苦しんでいる人々に寄り添おうとすることを、よく思わない人は必ず出てきます。批判されたり、悪口を言われたりすることも、覚悟しておかなければなりません。

 大切なのは、そんなときに、批判したり悪口を言ったりする人たちを恐れないことです。人を恐れるとき、わたしたちの心には相手に対する怒りや憎しみが生まれてきます。自分の存在を脅かす相手に何とか報復してやろう。邪魔なあいつを葬り去ってやろう、というようなことばかり考えるようになり、相手のことが頭から離れなくなってしまうのです。それでは、神から与えられた使命を果たすことはできません。愛とゆるしの福音を説くべき人間が、本来の使命を忘れて怒りや憎しみに呑み込まれてしまえば、もう何の役にも立たないのです。人を恐れるな。恐れれば、もはや宣教者としての使命を果たせなくなる。イエスが言いたかったのは、そういうことでしょう。

 実際、恐れる必要は何もありません。相手の言うことが正しければ、わたしたちの活動は遅かれ早かれうまくゆかなくなるでしょう。相手の言うことにも一理あると気づいた時は、謙虚に悔い改め、やり方を変えるべきです。相手の言うことが見当外れなら、放って置けば済むことです。かえって、言っている相手の方が信用を失い、誰からも相手にされなくなってゆくでしょう。いずれにしても、怒りや憎しみの炎を燃やす必要はどこにもありません。もし相手が悪意でわたしたちの活動を妨害しようとしているなら、むきになって反論したり、報復したりするのは、かえって相手の思うつぼです。相手の悪意を心にとめず、自分に与えられた使命をより一層熱心に果たす。そうすることで、人々の信頼を勝ち取ってゆく。それが、批判や悪口に対する最も効果的な対処方法だとわたしは思っています。

「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな」とさえ、イエスは言っています。もしかすると、相手はわたしたちに悪意を燃やし、命を奪おうとするかもしれません。そんな場合でも、決して恐れてはいけない。恐れて、怒りや憎しみの虜になってはいけないと言うのです。与えられた使命を果たして殉教するなら、それは天の父の元に帰るだけのこと。イエス自身、きっとそこまでの覚悟だったのでしょう。わたしたちにも、同じ覚悟が求められていることを、改めて肝に銘じる必要があります。恐れずに、最後の瞬間まで使命を果たしぬくことができるよう共に祈りましょう。

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