バイブル・エッセイ(1068)神の知恵

神の知恵

 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。」また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」(マタイ5:20-22a、27-28、33-34a、37)

「あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない」といってイエスが語った教えの中から、3つの教えが朗読されました。これらの教えに共通しているのは、神は人間の心の中を見ておられるということです。人間の知恵は外見だけを整えようとするが、神の知恵は心を整えることを求めるといってもよいかもしれません。

 一つ目の教えで、「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける」とイエスはいっています。実際に手を下さなかったとしても、心の中で相手に腹を立て、憎しみを募らせるだけで、わたしたちは「神の子」としての喜びを失い、神を悲しませるということです。人間の心を乱す感情はいろいろありますが、その中でも特に怒りは、人間を神の愛から遠ざけ、人間を不幸にするのです。

 怒りは、何かが自分の思った通りにならなかったとき、とりわけ、誰かに自分の命や安全が脅かされたときに生まれることが多いようです。自分の存在を脅かす相手を取り除きたい、そのような相手を滅ぼしてしまいたい。それが怒りの本質なのです。怒りに囚われるとき、わたしたちはもう、自分のことしか考えられなくなります。相手も大切な神さまの子どもであることを忘れ、ただ相手を攻撃し、自分を守ることしか考えられなくなるのです。そのときわたしたちは、神の愛を完全に見失い、深い闇の中で苦しむことになります。それが、わたしたちの受ける「神の裁き」であり、神の罰なのです。

 二つ目の教えで、イエスは「みだらな思いで他人の妻を見る者は、既に心の中でその女を犯したのである」といいます。実際に姦通の罪を犯さなくても、よくない思いで相手を見るなら、わたしたちは「神の子」としての喜びを失う。神の愛から遠ざかり、道を見失って不幸になるということです。

 身勝手な欲望に支配されるとき、わたしたちは相手のことを考えられなくなります。相手も大切な神さまの子どもであることを忘れ、自分の欲望を満たすことしか考えられなくなるのです。そのとき、わたしたちは神の愛から完全に遠ざかり、「神の子」としての喜びを失います。

 三つ目の教えで、イエスは「一切誓いを立ててはならない」といいます。誓いを立てるということは、神の思いとは関係なく、自分の力で何が何でもそれを実現すると約束することだからです。そこには、人間の大きな傲慢がひそんでいます。神さまの思いを忘れ、自分の力で自分の思いを通そうとするなら、そのときわたしたちは神の愛を見失い、恐れや不安、怒りの闇の中に落ちてゆくでしょう。

 この三つの教えに共通しているのは、行動だけでなく、心が大切だということ。感情や欲望に押し流されて自分のことしか考えられなくなるなら滅び、感情や欲望の誘惑を退けて神の愛にとどまり続けるなら救われるということです。イエスの教えをしっかり心に刻み、いつも神の愛の中にとどまり続けることができるよう、心を合わせてお祈りしましょう。

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