2020-08-01から1ヶ月間の記事一覧

バイブル・エッセイ(924)死ぬことによって生きる

死ぬことによって生きる イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始…

こころの道しるべ(28)正しい判断

正しい判断 体験したことのない困難な状況で、初めから正しい判断を下せる人はいません。大切なのは、一度決めても、うまくゆかなければすぐ修正できる柔軟さを持つこと。謙虚な心で間違いを認め、少しずつ正しい判断に近づいてゆけますように。 ※このカード…

バイブル・エッセイ(923)教会を建てる

教会を建てる イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』…

こころの道しるべ(27)たった一人の自分

たった一人の自分 誰もが、世界でたった一人、自分だけにしかないよさを持った神さまの最高傑作。もし「わたしなんかつまらない人間だ」と思っているなら、それは自分のよさにまだ気づいていないだけ。世界にたった一人しかいない自分に、もっと自信を持ちま…

バイブル・エッセイ(922)恵みのパン屑

恵みのパン屑 イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。しかし、イエスは何もお答えになら…

こころの道しるべ(26)離れて見守る

離れて見守る 愛の基本は、苦しんでいる相手に寄り添うこと。ですが、時には離れて見守る以外ないこともあります。会いたい気持ちをじっと我慢し、その我慢を相手のために捧げる。相手の孤独と苦しみを、離れた場所から一緒に担う。それも尊い愛の形です。 ※…

バイブル・エッセイ(921)イエスの声に耳を澄ます

イエスの声に耳を澄ます イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。ところが、舟は既に陸から何スタ…

こころの道しるべ(25)自分も同じように

自分も同じように 人からしてもらったことは決して忘れず、他の誰かが困っていれば自分も同じように助けの手を差し伸べる。人にしてあげたことはすぐに忘れ、相手が感謝してくれなくても決して責めない。それを、当然と思える人になれますように。 ※このカー…

バイブル・エッセイ(920)惜しみなく与える人

惜しみなく与える人 イエスは(洗礼者ヨハネが死んだこと)を聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人…