2024-09-01から1ヶ月間の記事一覧

こころの道しるべ(235)時間からの解放

時間からの解放 永遠とは、気が遠くなるほど長い時間のことではありません。永遠とは、時間から解放されるということ。もはや変わることも、消え去ることもない愛の中で、完全に結ばれるということなのです。この一瞬の中に、永遠を見つけられますように。 …

バイブル・エッセイ(1163)サタンの罠

サタンの罠 イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』…

こころの道しるべ(234)愛が指す方向

愛が指す方向 先がまったく見通せず、道に迷ってしまいそうなときは、自分の心をしっかり見つめ、心に宿った愛が指し示す方向に進みましょう。やさしさや思いやりに導かれて進んでゆく限り、間違った道に迷い込むことは決してありません。 『やさしさの贈り…

バイブル・エッセイ(1162)心を開く

心を開く イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出…

こころの道しるべ(233)質素に生きる

質素に生きる 謙遜からは感謝が、感謝からは幸せが生まれます。傲慢からは不満が、不満からは不幸が生まれます。思い上がった考え方や生活様式を改め、謙虚な心で質素に生きることこそ、幸せに続く最も確かな道なのです。 『やさしさの贈り物~日々に寄り添…

バイブル・エッセイ(1161)清らかな心で生きる

清らかな心で生きる ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人…