2024-08-01から1ヶ月間の記事一覧

こころの道しるべ(232)祈りは希望

祈りは希望 祈るとは、どんなことがあっても最後まで希望を捨てないということ。希望を持って前に進んでゆく限り、必ず出口は見つかります。祈りながら、いま自分にできることを見つけ、いま自分がすべきことをしてゆきましょう。 『やさしさの贈り物~日々…

バイブル・エッセイ(1160)心を燃やす

心を燃やす 弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。それでは、人の子がも…

こころの道しるべ(231)相手の下に立つ

相手の下に立つ 人の上に立って威張りたがる人ばかりだと、踏みつけられ、押し潰される人が出てきます。威張りたがるわたしたちの心が、下に置かれた誰かを押し潰すのです。誰もが相手の下に立ち、互いに奉仕する心を持てば、押し潰される人はいなくなるでし…

バイブル・エッセイ(1159)生きる力

生きる力 「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせること…

バイブル・エッセイ(1158)喜びの源

喜びの源 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あ…

こころの道しるべ(230)幸せの感受性

幸せの感受性 家族や仲間の思いやりに気づいて感謝する心があれば、道端に咲く花や木々の美しさに気づいて感動する心があれば、わたしたちはいつでも幸せになれます。幸せは、手に入れるものではなく、むしろ感じとるもの。「幸せの感受性」を磨きましょう。…

バイブル・エッセイ(1157)永遠に生きる

永遠に生きる ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た…

こころの道しるべ(229)生かされている

生かされている 自分の力で生きているのではなく、命の力によって生かされているわたしたち。「何のために生きているのか」と自分に問いかけ、答えが見つからないときは、「何のために生かされているのか」と命に問いかけましょう。命には、必ず答えがありま…

バイブル・エッセイ(1156)なくならない食べ物

なくならない食べ物 群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り、イエスを捜し求めてカファルナウムに来た。そして、湖の向こう岸でイエスを見つけると、「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」と言った。イエス…