やぎぃの日記(86)司祭年閉年ミサⅡ


 ディスカッションの後、4人の司教と130人ほどの司祭が共同司式するミサが行われた。ミサ中に30分かけて「ゆるしの秘跡」が行われ、司祭全員がそれぞれに告解をした。これは本当にすばらしい体験だった。ミサとゆるしの体験を同時にできるなんて、これ以上の恵みはないだろう。とてもすがすがしい気分で感謝の祭儀を捧げることができた。
 ミサが終わり、退堂のときにもう1つ素晴らしいことが起こった。「行け地の果てまで」が歌われる中、退堂していく司祭たちに、誰からともなく拍手がわきあがったのだ。ミサの最後に拍手がわき起こるというのは、全く異例のことだ。信者さんたちからわたしたち司祭への激励の拍手としてわたしはそれを受け止めた。鳴りやまぬ拍手を聞きながら、わたしは感動で目頭がうるんだ。
 昨日の集いは、司祭年の最後を飾るにふさわしい本当にすばらしい集いだった。これだけたくさんの人たちがそれぞれのやり方で誠実に司祭職を生き抜こうとしているという事実にも胸を打たれたし、自分自身の司祭としての生き方をもう一度見直すとてもよい機会になった。
 わたしの最大の反省は、司祭職が奉仕のためであることを忘れ、自分自身のために司祭職を生きようとしてしまいがちなことだ。自己実現のための司祭職では、数にとらわれたり、信者さんたちからの評価を気にしたり、自分の悪口を言われて腹を立てたりするようになる。自分を捨てて地道な奉仕に励んでいるたくさんの先輩たちに倣って、わたしもただ神のため、救いを求めている人たちのためだけを考えて司祭職を生きていきたい。
※写真の解説…正面から見たカトリック玉造教会。