バイブル・エッセイ(143)同じ秤で


「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。
 あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。」(マタイ7:1-2)

 「あなた方は自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる」、まさにその通りだと思います。わたしたちが他人を量る基準が、そのまま自分たちにも向けられていることにわたしたちは気づくべきでしょう。
 例えば地位で人を判断し、高い地位の人にへつらって低い地位の人を見下す人は、自分が低い地位に着いたときに自分自身を見下すことになるでしょう。財産で人を判断し、お金持ちに近づき貧しい人々から遠ざかる人は、もし自分が財産を失ったとき「自分は人から相手にされる価値がない」と思いこむことになるでしょう。そのようにして他人を量る秤は自分自身にも向けられ、神の愛からわたしたちを遠ざけます。
 わたしたちが持つべき唯一の量りは、財産、地位、権力などと一切関係なくすべての人を「神の子」として愛する量りでしょう。すべての人を「神の子」として無条件に受け入れることができたときにだけ、わたしたちはわたしたち自身も「神の子」として無条件に受け入れることができるのです。どんなことがあっても、自分は神から愛されるに値する人間だと確信することができるのです。
 人を裁き続ける限り、無条件で自分自身を受け入れ、神の愛を確信することはできないでしょう。それがすでに裁きになっています。自分で自分を裁かないため、神の愛を確信して喜びと力に満ちて生きていくため、すべての裁きをわたしたちの心から取り除きたいものです。
※写真の解説…大原の里で見かけた大きなトンボ。