祈りの小箱(174)『愛は行いの中に』


『愛は行いの中に』
 先日、広島で起こった土砂災害被災地でのボランティア活動に、広島教区の若者たちと一緒に参加してきました。住宅地を覆いつくした泥を掻き出し、土嚢に詰めて運ぶお手伝いです。泥はとても粘着性が強く、土嚢の重さは1つ20-30㎏にもなり、炎天下での作業は過酷なものでした。しかし、若者たちは何の文句も言うことなく、黙々と働きつづけました。泥まみれで、汗びっしょりになりながら、1日働き続けたのです。彼らの姿からは、被災された方々を思う愛がはっきりと感じられました。
 このとき改めて感じたのが、愛は言葉ではなく行いの中にあるということです。人類愛や兄弟愛、隣人愛についてどれほど立派なことを話したとしても、誰かのために自分を犠牲にすることをためらうなら、その人の中に愛はありません。何も語らなかったとしても、大切な仲間や家族、友だちのため、自分の身を喜んで犠牲にするなら、その人の中には確かに愛があります。愛するとは、大切な相手のために自分を喜んで差し出すことができる、犠牲を払うことができるということなのです。マザー・テレサが「痛みを感じるまで愛しなさい」と語っていますが、大切な誰かのために、自分を差し出す痛みの中にこそ本当の愛があるのです。
 「自分は人々にこんなに奉仕している。神の愛を生きている」というようなことを、どれほど説教台やインターネット上で力説しても、愛を伝えることはできません。むしろ、神様のため、大切な人たちのために黙々と自分を犠牲にする姿こそが、その人の愛を伝えるのです。言葉ではなく、行いによって神の愛を証する人になれるよう、心から祈りたいと思います。
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