祈りの小箱(65)『祈ることは愛すること』


『祈ることは愛すること』
 「誰かのために祈る」と言いながら、実は自分のために祈っている。そんなことがよくあります。例えば、お母さんが「うちの娘が間違いに気づいて、わたしの思った通りの人生を選びますように」と祈る場合、会社で「同僚が回心して、わたしの提案を受け入れてくれますように」と祈る場合など、わたしたちは「相手のために祈る」と言いながら、実は自分の思いが実現するようにと祈っているのです。
 「誰かのために祈る」とは、そのような自分の思いはすっかり脇において、ただ相手の上に神の御旨が実現するようにと祈ることです。「誰かのために祈る」とは、相手のために自分の心を神にすっかり差し出し、ただ相手の幸せを願い続けることなのです。大切な誰かのために無条件に自分を差し出す祈りは、そのまま「愛」と言い換えてもいいでしょう。「誰かのために祈る」とは、その人を愛するということに他ならないのです。
 「誰かを愛する」といいながら、実は相手が自分の思いのままになるように願っているだけ。そんなこともよくあります。例えば、「どうしたら〇〇さんの心を取り戻すことができるだろうか」、「どうしたら結婚することができるだろうか」などと考えているとき、わたしたちははその人を愛しているのでなく、実は自分自身を愛しているのです。
 「誰かを愛する」とは、相手を大切に思うことであり、相手の幸せのためならば自分のすべてを差し出してもいいとさえ思うことです。大切な誰かの幸せのために、見返りを求めることなく自分の心をすっかり差し出す愛は、そのまま「祈り」と言い換えてもいいでしょう。「誰かを愛する」とは、誰かのために祈ることに他ならないのです。
 愛をこめた祈り、祈るような愛は、必ず誰かの心に届きます。届いたものが本物の祈りであり、本物の愛であるならば、そのとき必ず奇跡が起こるでしょう。そのことを信じて祈り続け、愛し続けたいと思います。
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