祈りの小箱(66)『愛することは祈ること』


『愛することは祈ること』
 愛がどれほど純粋で、真実であったとしても、それを無理に受け入れさせることはできません。親は子に、子は親に、夫は妻に、妻は夫に、いつか必ず届く、いつか分かってもらえると信じて愛を捧げ続け、待ち続ける以外にないのです。そのような愛は、ほとんど祈りに似ています。ただ相手の幸せを願って捧げ続け、待ち続ける愛は、本質的に祈りなのです。
 分かってもらえないから、理解してもらえないからといってあきらめてしまうなら、その愛はそれまでです。相手に対するその人の愛情は、そこまでのものだったということでしょう。もしかするとその人は、初めから相手が自分の思い通りになることだけを期待していたのかもしれません。相手が自分にとって本当に大切な存在であり、その人なしでは生きている意味がないほどであるなら、信じて待つ以外に道はないのです。
 前回、「誰かのために祈るとは、その人のために自分の心をすっかり差し出すいうことであり、その人を愛するということです」という言葉を紹介しましたが、「誰かを愛するとは、その人のために自分の心をすっかり差し出すということであり、その人のために祈るということです」と言い換えることもできます。つまり、「祈るとは愛することであり、愛することは祈ること」なのです。誰かを愛そうとするとき、その愛は祈りであるかどうかを確かめてみましょう。誰かのために祈るとき、その祈りは愛であるかを確かめてみましょう。そうすることで、愛は真実の愛となり、祈りは真実の祈りとなるはずです。
★このカードは、こちらからダウンロードできます。⇒
JPEG 『愛することは祈ること』.JPG 直
PDF 『愛することは祈ること』.PDF 直