バイブル・エッセイ(832)喜びの源

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喜びの源

 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」(ルカ1:39-45)

 マリアの挨拶を聞いたエリザベトは、「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」と感嘆します。マリアの声や表情が、それほど喜びにあふれていたからでしょう。胎内の子にまで伝わり、胎内の子が躍り上がるほどの喜びでした。マリアがまさにいま、幸せに満たされていることがエリザベトにははっきり分かったのです。
 マリアの心を満たした喜び、それは「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた」ことから生まれる喜びでした。天使の言葉の通りイエスを宿し、身をもって神様の恵みを味わったマリアは、神様の愛を確信していました。無学な田舎の娘で、世間的には目を止められることのないような自分にさえ、神様は豊かな愛を注いでくださる。わたしは、神様にとって大切な、かけがえのない存在なのだ。わたしの人生には、確かに意味がある。この確信こそ、マリアの喜びの源だったのです。
 クリスマスの喜び、イエス・キリストが伝えた福音のメッセージは、まさにこのことに尽きると思います。マリアだけではありません。世間の片隅に追いやられ、省みられることのない人。それどころか、差別されたり馬鹿にされたりする人。貧しい人、病気の人、年老いて体が不自由になった人、障害を負った人、そういった人たちも、神様の目には金持ちや権力者、有名人などとまったく同じくらいかけがえのない存在だ。すべての人は、神様から愛された大切な「神様の子ども」。あなたの人生には、確かに意味がある。「自分なんて生きていても仕方がない」などと、考える必要はまったくない。それこそ、イエスが伝えたかった福音のメッセージなのです。
 昨日の、益城町・木山仮設住宅でのクリスマス会でも、人形劇によるイエス御降誕の物語と共に、このメッセージを皆さんにお話ししました。仮設住宅におられる方の中には、震災から2年半を経ても金銭的な困難、区画整理の関係などさまざまな理由から住宅再建のめどさえ立たないという方も多いのが現実です。ご高齢の方も多いのですが、皆さんこのメッセージを本当に喜んで聞いてくださいました。そして、後から、「クリスマスの本当の意味がわかりました」とうれしそうに感想を語ってくださったのです。
 たとえ何があっても、あなたは神様から愛された大切な命、かけがえのない「神様の子ども」。あなたの人生には、確かに意味がある。世界中の人たちが、このメッセージを待っています。このメッセージこそ、すべての人間が心の底から待ち望んでいる福音、人間の心を喜びで満たし、その人を幸せにする救いのメッセージなのです。まずわたしたち自身がそのことを確信し、喜びで心を満たしていただきましょう。わたしたちの挨拶からさえその喜びがあふれ出し、世界中に福音の喜びが広がってゆくように。