バイブル・エッセイ(855)聞き分ける

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聞き分ける

「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。わたしと父とは一つである。」(ヨハネ10:27-30)

「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける」とイエスは言います。「聞き分ける」というのはとても大切な言葉で、キリスト教の世界では「識別」という表現がよく使われます。聞こえてきた声が、キリストの声なのか、それとも、欲望に引きずられ、感情にかき乱された自分自身の声なのかをしっかり聞き分け、ただキリストの声だけに従って歩んでゆく。しっかり識別をしながら歩んでゆくことで、わたしたちは命の水辺に行くことができるのです。
 道に迷ったとき、人生の岐路で選択に迷ったときに、まず聞こえてくるのは、「どちらに行くのが安全だろうか。自分にとって得だろうか」と損得勘定をする自分の声でしょう。あるときは、Aの道の方がよく見えます。そちらの方が大きな利益や名誉をもたらしてくれるように思えるからです。ですが、あるときにはBの道の方がよさそうに見えるときもあります。そちらの方が、利益は少ないけれど安全に見えるからです。こうして、「Aの方がいいぞ」「でも、Bもなかなかのものだぞ」と呼びかける声、自分自身の損得勘定の声に耳を傾けているうちに、わたしたちはすっかり迷子になってしまいます。
 ときには、「自分さえよければいい。他の誰かを利用してもかまわない」「ばれさえしなければ大丈夫」というような声が混じるときさえあります。これはもう、悪魔の誘惑と言っていいでしょう。悪魔の誘惑は、とても甘くささやきかけますが、これに従ってしまえば、待っているのは苦しみと破滅だけです。
 キリストの声は、それらの声を黙らせたときに、心の奥深くから響いてくる静かな声です。自分自身の利害損得を手放し、誘惑をきっぱり退けて、心を静かにしたときに心の奥深くから聞こえてくる声。それこそが、キリストの声なのです。キリストの声の第一の特徴は、その静かさだと言っていいでしょう。心の表面に鳴り響く、欲望や感情の大きな声ではなく、心の奥深くから聞こえてくる静かな声に耳を傾ける。まず、それが不可欠です。
 キリストの声の第二の特徴は、愛情に満たされたやさしさや温もりです。キリストの声は、わたしたちを優しく包み込み、心に安らぎを与えてくれる声なのです。その声に耳を傾けるとき、心に喜びと安らぎが広がり、力が湧き上がるのを感じたならば、それはキリストの声だと思ってほぼ間違いないでしょう。
 キリストの声に耳を傾けているとき、わたしたちの心の奥深くから湧き上がって来る喜びや力、安らぎ。それを、「命の水」と呼んでもいいかもしれません。キリストの静かな声を聞き分け、その声に導かれて心の奥深くに降り立つとき、わたしたちはそこに「命の水」が滾々と湧き出す泉を見つけるのです。命の水は、わたしたちの心の渇きを満たし、不安や恐れを取り去ってくれます。疲れを癒し、再び立ち上がるための力を与えてくれます。どんなときでも、キリストの声を聞き分けることができるように、その声の特徴を心にしっかり刻みましょう。