バイブル・エッセイ(919)天国を見つける

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天国を見つける

「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」(マタイ13:44-46)

「畑に宝が隠されている。見つけた人は...喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う」、天国を見つけた人も、それと同じだとイエスは言います。天国は、この世界のあちこちに隠されているけれども、それを見つけられる人は少ない。見つけた人は、「なぜみんな、こんな素晴らしいものが隠されているのに気づかないのだろう」と思いながら、すべてを投げ売ってその天国を手に入れる。きっと、そのようなことでしょう。

 フィリピンにいた頃、スラム街で働く一人のフランス人司祭と出会いました。もともとはパリの小教区で働く司祭だったのですが、スタディーツアーでフィリピンのスラム街を訪れたことがきっかけで、フィリピンに移住。当時は、スラム街に学校を開いて、子どもたちの教育に当たっておられました。彼が住んでいるのは、マニラ中のゴミが集まる大きなゴミ捨て場に隣接し、人々の多くはゴミ拾いで生計を立てているという、マニラでも最も劣悪な環境のスラム街でした。「なぜ、この場所で働くことにしたのですか」とわたしは、彼に尋ねました。すると彼は、「わたしは、ここで、このゴミの山の中に天国を見つけたのです」と答えました。世界で最も厳しいと言ってもいいほど劣悪な環境の中で、助け合いながら懸命に生きようとしているスラム街の人々の中に、彼は天国を見たというのです。天国を見つけた彼は、フランスでの生活を捨て、文化も言語も違う国のスラム街に移住しました。彼の行動は、まさに「畑に宝が隠されている」のを見つけた人の行動と言っていいでしょう。彼は、他の誰も気づかない宝の山に気づき、すべてを投げ売って宝の山を手に入れたのです。

 そのような天国、隠された宝の山は、わたしたちの身の回りにもたくさんあると思います。たとえばある人は、幼稚園の子どもたちの中に天国を見つけます。子どもたちの純粋でまっすぐな心の中に、光り輝く宝を見つけるのです。またある人は、老人ホームの高齢者たちの中に天国を見つけます。この地上での使命を十分に果たして老人ホームにやって来た人々の中に、尊い命の輝きを見つけだすのです。そのような宝を見つけた人は、ある人は幼稚園の教諭になるでしょうし、ある人は介護士、ある人はボランティアとして老人ホームに関わるようになるでしょう。自分の人生をかけて、その宝を手に入れようとするのです。

 この地上に天国を見つけ、それを手に入れた人こそ、幸いな人です。その人は、この地上にいるうちから天国の喜びを生きられるからです。もちろん、まだ地上にいる以上、手に入れた天国にもたくさんの苦労はあるでしょう。ですが、それは、間違いなく天国につながる苦労なのです。わたしたちの身近にあり、隠されている天国を見つけられるよう、見つけた天国を手に入れ、命がけで守ってゆくことができるよう共に祈りましょう。

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