バイブル・エッセイ(198)見分ける目


見分ける目
 「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」(マタイ13:44-46)
 学校や教会などでバザーが行われるとき、開場の何時間も前から並ぶ人たちがいます。転売を目的として掘り出し品を探す、プロの「バザー師」と呼ばれる人たちです。素人の目から見るとガラクタのような物の中から、彼らは目ざとく「お宝」を見つけ出します。あるバザー師さんが、教会のバザーで、人間国宝が作った時価150万円の釣竿をたった3000円で買ったという話さえ聞いたことがあります。
 素人は「きれい・きたない」、「使えそう・使えそうもない」というくらいの基準でしか品物を見ませんが、彼らはそうではありません。彼らの中には骨董市場での価値というしっかりした基準があり、それに従ってすべてを見ているのです。彼らにとっては、外見や利用価値より、誰がいつ作ったのかということの方がはるかに大切なのです。
 外見に惑わされず、そのものが持っている本当の価値を見抜くという点において、わたしたちもこのバザー師さんたちに学ぶべき点があるように思います。もちろん、わたしたちが持つべき基準は骨董市場での価値ではありません。わたしたちが持つべき内的な価値の基準は「神の国」での価値です。
 目の前にある物が、今話している相手が「神の国」でどれほど価値を持っているか、わたしたちは気づいているでしょうか。すべては神様がお作りになったこの世に二つとない貴重な作品であり、その値には限りがないのです。目の前にあるいつも見慣れた景色、古ぼけて破れた服を着た人、泥だらけの子ども、この地上のすべてのものが大切な宝なのです。外見や利用価などに迷わされることなく、本当の価値を見分ける目をわたしたちも持ちたいものです。
※写真の解説…日光、戦場ヶ原にて。湧き上がる雲と立木。