バイブル・エッセイ(927)満たされて生きる

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満たされて生きる

「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」(マタイ20:1-16)

 賃金について苦情を言う労働者に向かって、主人は「自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ」と答えました。ちょっと不平等にも思えますが、1デナリオンというのは当時の標準的な日給で、主人には何の不正もありません。労働に見合う対価を与えられたのだから、それで満足しなさい。欲を出してはいけないと、主人は労働者にやさしく諭したのでしょう。

 一般的に考えるとちょっと不平等かなと思えることが、教会の中にもあります。たとえば神父の給料です。教会で働く司祭の給料は、新司祭でも働き盛りのベテラン司祭でも、一律同じなのです。わたしのような修道司祭の場合は少し事情が違いますが、いずれにしても教会で働くことで得られる賃金は全員が同じです。昇給なし、業績に関係なく給料は同じというのは、一般的に考えればちょっと不平等と思えるでしょう。

 ところが、神父の中でそのことについて不満を言う人は誰もいません。不満を言うどころか、「こんなわたしが神さまのため、信徒のみなさんのために働かせてもらえるだけでもありがたい。その上、生活するのに十分な賃金まで与えられるなんて本当に幸せだ」と思っている人が多いのです。わたし自身もそうで、20代後半で主人である神さまに出会い、司祭としての奉仕の仕事を与えられた。そのことだけでもありがたく、もったいないことだと思っています。することもなくぶらぶらしていた20代前半の苦しさを思い出せば、いまの暮らしは夢のようだ言っていいくらいです。神さまから頂いた恵みをみなさんと分かち合い、みなさんに喜んでもらえるということ、こんなわたしが誰かの役に立てるということは、本当に大きな恵みなのです。その上、生活するのに十分な賃金までもらえるのですから、何も不満を言うことはありません。

 大切なのは、感謝する心だと思います。苦しい状況の中で神さまから声をかけてもらい、仕事を与えられたことに感謝しながら生きている限り、働かせていただけること自体が大きな恵み。働きに見合った報いがあるかどうかは大きな問題ではないのです。それは、神父に限らず、人生のある時期に主人である神さまと出会って救われ、福音宣教という使命を与えられたすべての人に当てはまることでしょう。こんなわたしが神さまから選ばれ、働かせて頂ける。そのことへの感謝を、しっかり心に刻みたいと思います。

 奉仕した人生の最期に、神さまはわたしたち全員に天国の恵みを与えてくださいます。「あなたは働きが悪かったから、天国でも最下層の部屋。あなたはよく働いたから最上階のロイヤルスイート」というようなことはないのです。誰もがみな、平等に天国の恵みを与えられるのです。これも本当にありがたいことだと思います。「わたしはたくさん働いた偉い人間なのだから、ロイヤルスイートでなければいやだ」などとわがままをいえば、天国に入るのが遅れてしまうでしょう。まさに「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」ということになるのです。神さまから頂いた奉仕の使命に感謝して生き、感謝して天国に入ることができるよう心を合わせてお祈りしましょう。

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