バイブル・エッセイ(770)収穫する使命


収穫する使命
「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。」(マタイ21:33-43)
「ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た」けれども、農夫たちは収穫を主人に差し出そうとしなかった。それどころか、収穫を受け取りに来たしもべや、主人の息子さえ殺してしまったという話です。神様から預かったぶどう畑、それはこの世界だと考えたらよいでしょう。愛の実を収穫するようにと与えられた世界を自分の私利私欲のために使い、収穫を差し出さない農夫は祭司長やファリサイ派の人々、収穫を受け取るためにやって来たしもべや息子は預言者イエス・キリストご自身です。
 愛の実を収穫するために神様から預かった恵みを、自分だけのものにしてしまう。それは、わたしたちにも起こりがちなことです。フランシスコ教皇は、回勅『ラウダート・シ』の中で、この世界は神さまから人間に委ねられたものであることを強調しています。それは、わたしたちが互いに愛し合い、神の国を実現するためだったのに、一部の人々が富を独占し、自然環境を破壊し、貧しい人々を虐げている。今こそ回心し、この世界を本来の姿に戻すべきだと教皇様はおっしゃいます。この世界は、人間のものではない。すべての命を守るように、互いに愛し合うようにと人間に委ねられたものだということをもう一度思い出す必要があるのです。
 この世界に生きるわたしたち一人ひとりの命も、神様から預かったものだということを忘れないようにしたいと思います。農園の主人がぶどう園に「垣を巡らし、絞り場を掘り、見張りのやぐらを立て」あとはぶどうを収穫するばかりにして下さったように、神様はわたしたちが愛の実を収穫するために必要なすべてのものを準備してくださいました。住む家や育ててくれる人、食べるもの、着るもの、共に生きてゆく仲間、すべてを準備してくださったのです。あとはもう、収穫をすればよいというだけの状態で、わたしたちはこの世界に生まれてきたのです。わたしたちがすべきなのは、愛の実を収穫して神様にお返しすること、それに尽きます。
 日常生活の中で、わたしたちはつい、神さまから預かった恵みを自分のもののように思い込み、それを守ることだけを考えてしまいがちです。しかし、よい農夫でありたいならば、与えられたものを使って、最大限の収穫を得ることだけを考えるべきです。預けられた時間、能力、財産など、すべてをフルに使って、どれだけ愛の実を収穫できるかを考えてこそ、よい農夫になれるのです。たとえば、この教会にはパイプオルガンという大きな恵みが与えられました。それは、この宇部の地で愛の実を収穫するためです。オルガンが痛むからとか、教会が汚れるからといって、パイプオルガンを使わず、大事にとっておいても仕方がありません。どんどん弾いたり、コンサートをしたりして、愛の実を結んでこそ意味があるのです。わたしたちは、そのことだけを考えるべきでしょう。人生そのものも同じです。我が身を惜しんで守ることだけ考えていては、農夫としての役割をはたすことができないのです。自分を使って、どれだけ愛の実をみのらせ、収穫できるか、それだけを考えるべきでしょう。そうすることによってのみ、わたしたちはこの地上に神のみ旨を実現することが出来るのです。 
 この世界は、わたしたちの人生は、愛の実を収穫するために神様が準備してくださったぶどう畑なのです。愛の実を収穫し、神様に差し出すために必要なものは、すべて準備されています。あとはわたしたちが自分の使命を忘れず、互いに愛し合うことができるかどうかです。この地に、豊かな実りをもたらすことができるように祈りましょう。