バイブル・エッセイ(935)わずかなものに愛を込める

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わずかなものに愛を込める

「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』」(マタイ25:14-15、19-21)

 5タラントンを預かり、さらに5タラントンを儲けたしもべに、主人は「お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」と言いました。主人は、しもべの能力は以前からよく知っていました。財産の管理を任せることによって主人が知りたかったのは、しもべが主人に忠実かどうか、主人の利益を自分の利益、主人の喜びを自分の喜びと感じられるほど主人を愛し、主人のために力を尽くして働いてくれるかどうかだったのです。

 1タラントン預かったしもべは、なぜ主人に忠実でなかったのでしょう。一つ考えられるのは、「他のしもべが自分の何倍も預かっているのに、自分はこれしか預けられなかった。自分はあまり期待されていないのだ」と考え、「どうせわたしなんか」とひがんで、わざと主人の期待に背いたのではないかということです。他人と自分を比べ、自分は期待されていない人間だ、価値がない人間だと勝手に思い込んで自暴自棄に陥る。そんなことが、わたしたちには起こりがちです。人と自分を比べ、「あの人はあんなに与えられているのに、なぜわたしはこれだけなんだ」などと、つい考えてしまうのです。

 ですが、これは一種の思い上がりと言っていいでしょう。神様は、一人ひとりに一番ふさわしいタラントンを預けてくださっているのです。「自分はもっとできるはずなのに」と言い張り、他人と自分を比べて落ち込むというのは、神様の慈しみ深い配慮を無視した、自分勝手な言い分です。むしろ、わたしたちは、わずかなタラントンであっても、自分に最もふさわしいものを神様から預けられたことに感謝すべきなのです。

 大切なのは、神様の愛に気づき、その愛に報いたい、神様に喜んで頂きたいと願ってタラントンを使うことです。たとえわずかなことであっても、タラントンを使い、困窮している人たち、苦しんでいる人たちに喜んでもらうことができれば、わたしたちの心は喜びで満たされます。そして、「こんなわたしに、これほどのタラントンを与えてくださるなんて」と思って、神様に感謝できるようになるのです。神様に忠実に生きれば生きるほど、神様への愛は大きくなり、わたしたちの心を満たす喜びも多くなってゆきます。タラントンは、神のみ旨のままに使えば使うほどより大きな実りをもたらします。使えば使うほど、わたしたちはより大きな神の財産を預かり、主人と共に喜ぶことになるのです。

 どれだけ多くの結果を出したかということは問題ではありません。神様はわたしたちの能力はもう知っています。もうけた金額が1タラントンでも、5タラントンでも、それは関係ないのです。問題は、預けられた人の心に宿る愛、わずかなことに込められた愛の深さです。ただ、与えられた能力を、愛を込めて精いっぱいに、神様のみ旨のままに使うことだけが求められているのです。預けられたタラントンに感謝し、それを真心こめて精いっぱい神様のために役立てられるよう、心を合わせて祈りましょう。

 

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