バイブル・エッセイ(969)真理の直感

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真理の直感

「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」(ヨハネ15:26-27、16:12-15)

 イエスの言葉を十分に理解できない弟子たちに、「真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」とイエスは言いました。真理とは、イエスの全生涯を通して示された神の愛に他なりません。真理の霊が来るとき、わたしたちは、十字架と復活を頂点とするイエスの生涯を通して示された神の愛の意味と、その深さを実感することができるのです。「神がこれほどまでにわたしを愛してくださっていたとは」と気づいて感謝の涙をこぼす、そのときにこそ、わたしたちに聖霊が降臨するのだと言ってもよいでしょう。

 聖霊降臨が、復活から50日後に起こったということは意味深いと思います。この50日間、弟子たちは聖母マリアと共に祈り続けていました。イエスの残した言葉や十字架と復活の意味がまだよくわからず、その意味をお示しくださいと神に祈り続けていたのでしょう。神の愛の深さは、どれほど考えても人間の頭で理解できるものではありません。心の底から湧き上がる聖霊に満たされたとき、初めて「ああ、そうだったのか」と直感するものなのです。心を静めて不安や恐れを取り払い、すべての出来事をあるがままに振り返ってその意味を問い返すとき、初めてわたしたちの心に真理が示されるのです。

 弟子たちは50日かけてイエスとの日々を振り返り、自分の心を整え、深い祈りの中ですべての意味を神に問いかけました。そして、イエスの愛が全人類を包み込むものであると同時に、自分ひとりのために捧げられたものであることに気づいたとき、全知全能の神がそれほどまでに自分を愛してくださっていると気づいたとき、深い喜びと安らぎに満たされたのです。そのとき、弟子たちの心は炎のように燃え上がり、口からは言葉があふれ出しました。使徒言行録が記す聖霊降臨の描写は、そのとき注がれた神の力の激しさと強さをわたしたちに教えてくれます。弟子たちはもう、語らずにいられなくなったのです。イエスこそ神が送られたメシアであると、告げずにはいられなくなったのです。

 弟子たちの言葉を聞いたとき、人々は「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」と言って驚いたと使徒言行録は記しています。「わたしたちの言葉」というのは、単に言語ということだけでなく、弟子たちの言葉が人々の心に確かに届く言葉、人と人とを結びつける生きた言葉だったことを物語っています。弟子たちの心からあふれ出した愛が、そのまま言葉となって人々の心に届いたということでしょう。わたしたちがいま現代の人々の心に届く言葉で語れなくなっているとすれば、今こそわたしたちは聖霊の恵みを願う必要があります。

 何より大切なのは、心の奥深くで感じることです。頭でどれほど考えても理解することはできません。「そうか、神はこんなわたしをこれほどまでに愛してくださったのか」と思って涙する、その瞬間がすべてなのです。聖霊が下ってわたしたちの目を開き、真理を悟らせてくださるよう共に祈りましょう。

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