バイブル・エッセイ(990)永遠の命を受け継ぐ

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永遠の命を受け継ぐ

 イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。(マルコ10:17-22

 たくさんの財産を持った人がイエスの前にひざまずき、「永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」と尋ねる場面が読まれました。この人が「永遠の命」を求めるのは、ある意味でもっともなことに思えます。なぜなら、どんなにたくさんの財産や名誉、権力を手に入れたとしても、死んでしまえばもう何の役にも立たないからです。地上の富や名誉、権力を手に入れた人が最後に欲しがるもの、それは「永遠の命」なのです。

 では、どうしたら「永遠の命」を手に入れることができるのでしょう。この金持ちの問いに対してイエスは、「持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」と答えました。この答えの中に、「永遠の命」に至るための鍵が隠されているように思います。「持っている物を売り払う」ことは、神への全面的な信頼がなければできないことです。「すべてを失ったとしても、神さまがいてくだされば何の心配もない。神さまがすべてをよくしてくださる」、そのような信頼こそが「永遠の命」に至るための一つの鍵だと言ってよいでしょう。富も名誉も権力も、地上のものはすべて過ぎ去ります。そのようなものにしがみついている限り、わたしたちは決して永遠の世界に入ることができないのです。

 「永遠の命」に至るためのもう一つの鍵は、「貧しい人々に施しなさい」という言葉の中に隠されているように思います。自分が持っているものを、貧しい人々、苦しんでいる人々と分かち合う。それは、貧しい人々を愛するということに他なりません。貧しい人々の苦しみに目を向け、その人たちもかけがえのない神の子、自分の兄弟であることに気づいて心を動かされるとき、「その人たちのためになにかせずにいられない」という気持ちに駆り立てられ、自分に与えられた財産や能力、時間などを惜しみなく差し出すとき、わたしたちの間に生まれる確かな愛。その中に「永遠の命」が宿っているのです。

 「永遠」とはどういうことでしょう。それは、決して過ぎ去らないということであり、いつまでも続くということでしょう。地上の富や名誉、権力など、過ぎ去ってゆくものから手を離し、神の手に身を委ねるとき、わたしたちは決して過ぎ去らない世界、神の永遠の中に一歩を踏み出します。貧しい人々の苦しみに目を止め、その人たちのために自分を差し出すとき、わたしたちの心に、いつまでも消えることのない真実の愛が生まれます。その愛を生きるとき、わたしたちは神の永遠を生きることになるのです。

 神へのまったき委ねと、愛の実践。それこそが「永遠の命」に至るための鍵である。「持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」というイエスの言葉は、わたしたちにそのことを教えてくれます。この言葉は、この金持ちだけでなく、わたしたち一人ひとりにとっても、人生の指針となる大切な言葉、朽ちることのない知恵の言葉だと言ってよいでしょう。この言葉をしっかりと胸に刻み、実践してゆくことができるよう、心を合わせてお祈りしましょう。

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